スナドリネコさんの自由

もう既にだいたい言いたいことが書かれちゃってるので、屋上屋を重ねるようでアレなんだけど、5年前のはてブロにこんな記事があった。

孤独に悩む人は”solitudeとloneliness”の違いを認識すべき http://loneliness.hatenablog.com/entry/2015/02/17/172511

日本では、"solitude"にあたる言葉が多分ない。豊かな「ひとり」でいること、という概念がない。

「孤独」は暗くて淋しくて恐ろしいものだとされている。この「孤独」は"loneliness"の方だ。だいたいあってる。

孤独が恐ろしいこと、可哀想なこと、忌むべきことなら、「一人旅」はどうだろうか。

私は一人旅が好きだ。そんな大掛かりでなくとも、ふらっとひとりで出掛けるのが好きだ。果ては、北海道を合計で3分の1くらい自転車で回ったり、札幌からフェリーと鈍行を乗り継いで、博多まで行ったこともある。

今でも、自転車でちょっと遠出をして、きっつい坂に閉口したり、目的地でぼんやりしたりと、あんまり変わっていない。お金がかけられないけど、それなりにやりようはある。

読書は手軽な"solitude"を味わえる。私ひとりと一冊の本の世界。確かに、本の感想を共有したり、作者にメッセージしたりはするが、読んでいる間、私はたったひとりで没頭している。

よくTwitterで「xx好きさんと繋がりたい」というタグを見るが、繋がってどうするの?と思ってしまう。ものによっては、作家や漫画家やイラストレーターとやり取りをすることはあるけど、余程気心が知れた人でなければ、あまり徒党を組むことはしない。

誰にも気兼ねすることなく、自転車のスピードが遅くとも、自分のペースで走れる。周りに誰もいなくとも、見ていたい景色をずっと見ていられる。読みたい本をずっと読んでいられる。いたい場所、行きたい場所に、ふらっと出掛けられる。

いわゆるASD的傾向の一部なのかもしれない。私に以前、執拗に嫌がらせをしてきた人達は、とことん私を「孤独」に追い込もうとした。

でも、そういう人達といなければ、「孤独」なんかじゃないんだよね。ひとりでいられる「自由」だ。

もちろんこのご時世で、いつCOVID-19に感染して孤独死するか分からないので、私が一定期間安否確認botにレスを返さなくなったら、関係者に連絡が行くようにしてある。そのタイムラグでもハムスターの餌と水は足りるようにしてある。

そのときは多分「孤独」を感じるかもしれない。でも、そばにいてほしいのは、医療従事者の人達で、親類縁者ではない。彼らは、かえって私を「孤独」に追いやる存在だ。

スナドリネコさんの「孤独を愛する」という感覚は、これなのかもしれないなと思った。

それは、とても豊かな「ひとり」だ。

茨木のり子の「ひとりは賑やか」のように。

自分で選んで身を置いている静かな「ひとり」。それは、とても自由で、かつての苦しみが嘘のようだ。

数少ない友人は、「ひとり」を尊重してくれる。尊重してくれない、「私を構え、私を放置するな、何で誘ってくれなかったんだ」という人とは、縁を切った。

そしたらすごく楽になった。

スナドリネコさんの自由が、私には一番いいのかもしれない。






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