医療のデータを扱う上で

NHK+で「プロフェッショナル 仕事の流儀」の先週放送回を観た。北海道の脳外科医。網走でくも膜下出血の患者が出て、札幌から奥さんの運転する車で着いた先は、網走厚生。すっかり新しくなっていた。
私が検査室で報告書を色々とテスト印刷して、医事課を混乱に陥れていた頃とは大違いだ。それでも医療格差は残る。
在籍時期からいって、私が出張に行ってたとき、この先生は在籍していたはずだなあ……。

夜に約300km以上を普通に車で走り通していたが、北海道の脊梁山脈を越えていくのでとても大変だ。
それでもそれが北海道の普通。
私も、網走の別の病院の仕事で度々出張していたときは、よく先輩の車で石北峠を越えていた。
網走厚生の仕事のときは、宿泊先のホテルの人が待合室にいたこともあった。

ひとの生死をデータに落とし込んで資料を作り、レセが手書きだったのを電算化して回っていた頃。
医事日誌にはその日の入退院の人数も上がる。転帰も載せる。もちろん死亡退院もいる。数字の数だけ人が亡くなってる。

医療に関わるシステムは、今はもっとクリティカルな部分までIT化されて技術者の手が入るから、医療のIT技術者は更に重いものを背負っているだろう。
私の場合は、まだ手書きをプリントアウトできるようにして、手書きで食ってた時間を縮めて、その分医事課が楽できるように、と思っていた。

レセをより速くちゃんと出せることで、患者さんに正しく請求がされるよう、返戻(という文字を見ると今でも不整脈が出そう)を極力減らすようにと。出張で病院の医事課に午前1時に着いたら、まだ仕事してる医事課の人が普通にいた。

網走厚生の仕事はその仕事よりずっとあとなので、電算化は進んでいて、リプレース中に、新築予定の病院の図面を見たのを覚えている。
もう20年近く前だから、今は全く違うシステムになっているだろう。
でも、人の生き死にや生活を取り扱うということは変わらない。

システムへの思い入れが重過ぎても軽過ぎてもいけない。
IT化は全てではないが、医療に寄与も厄介ごとも両方もたらした。その厄介ごとを減らし、貢献度を上げて、空いた手でそれぞれの部署の人がもっと別のことに着手できて、患者さんにより良くできたらいい。

それは誰かがやるから実現できることで、それが自分達だから、「仕事」をまともに受け止めて、データと「普通に」向き合って、確実になにかのコストを下げられればいい。
生き死にの数や検査数値にいちいちびびってないで、ただしく扱われるように対応する。単純に言えばそれだけ。

データがあらわす人のことを、考え過ぎてはいけないが、考えていない訳でもない。
ただ、軽いノリで手を出すと色々大変だから、それなりの心構えは要ると思う。
その人数が何を表すのか、その病歴が何を表すのか、その数値が何を示しているのか。
いつも、心のどこかに置いて、それらのデータを処理する。

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