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指導者の変容を強く願う

はじめに

以下は、私が夜中なのをよいことにだーっと書き出した、「ど下手くそな指導者と上手な指導者」についての一連のtweetをコピペして適宜加筆修正したものある。
こういう指導者が、もうどんなジャンルでも、文武問わず本当に多いので、誰かの参考になればと思って書いてみる。

"Garbage in, garbage out. "

下手くそな指導者に、あなたの指導はど下手くそであると伝えるにはどうしたらよいのか。
キレられるくらいならまだいい。
一番困るのは、口ではありがとうございますといって無視する、もっと困るのは後々までそれを恨むタイプ。
指導が下手くそな指導者は、幸いにしてたくさん見てきた。
有り難いことに、指導が上手な指導者も。

指導が下手くそだから、結果としてプレイヤーが萎縮し、本来の能力を出せていないのに、それを更に責めるのは、自分で自分をおかしい、お前は間違っていると毎回毎回言っているのと同じ。

原因があるから結果がある。製造のラインにゴミを入れても成果物としてはゴミが出てくるだけ。それは、入れた当人の責任だ。

"Garbage in, garbage out. " (ゴミを入れれば、ゴミが出てくる。)は、日本では主にIT技術者の間で言いならわされてきた言葉だが、汎用性が高い。

嘘か本当かは知らないが、人間の脳は自分が発した言葉が自分のことを言っているのか他人に言っているのか、区別がつかないという。

つまり、誰かに対して怒る指導、高圧的に絶対服従を強いるような指導は、自分で自分を攻撃し続けるのと同じ。これを続けるともれなく病む。

それでダメージを受けるのがその指導者だけならまだ良い(良くない)が、実際には、誤った指導で指導される側も大ダメージを受け続ける。

我慢大会じゃないんだから、そんなの誰のためにもならない。

誤った指導法で高圧的に指導するから、プレイヤーは、間違ったらどうしよう、指導者の気を損ねたらどうしようと、本来の稽古とは全然違うことで苦しむことになる。

「監督が絶対怒らない」大会、益子直美カップが話題

今、元バレーボール女子日本代表の益子さんが、大会を開いて「怒らない指導法」を広めようとしている。自分がされて嫌だった指導法を駆逐するために。

「怒鳴られるのが怖くて「どうしたら怒られないようにプレーできるか」ばかりを考えていた」

それはまさに、今まで私が見てきた「下手くそな指導で萎縮するプレイヤー」の姿そのものだ。
もっと伸びしろがあるのに、指導者がはしからチョキチョキ切っていってる。

6年前に「益子直美カップ小学生バレーボール大会」と冠して始めた大会は、最初は九州でやっていたのが、4年前には藤沢でも行われるようになった。

基本的には普通のバレーボール大会だが、ひとつだけ特別な点は、「監督は怒ってはいけない」ということ。



「選手には、もし、監督が怒ったら教えてね、と伝えてます。怒った監督は私が叱るんです」

ここで、益子さんは「怒る」と「叱る」を明確に区別して発言している。

多分、自分は優れた指導者だ、と思っている指導者は「怒る」と「叱る」の区別が明確にできているか、または区別できていると勘違いしているかのどちらかだ。

「怒る」と「叱る」

「怒る」と「叱る」については、以前から主に教育の現場で語られてきたことだが、様々なジャンルでも言われるようになってきた。

感情をぶつけるのが「怒る」、相手を良い方向に導くのが「叱る」

「言っても直らないのはどうしてなんだろう、意味がわからない」なんてことを言う指導者もいる。
これが、情けないことに結構いる。
指導が間違ってたら、プレイヤーのプレイが直る訳がないのだが。

自覚がないなら私が言おう。
あなたのそれは、相手が自分の思うように動かないことに対する苛立ちの発露であり、苛立ちという「感情」を一方的にぶつけている「怒る指導」であると。

エスパーじゃないんだから、プレイヤーが自分の思った通りに動けないのは当たり前である。

通常、100を求めるには1を百回積み上げなくてはならないが、ここに100を積み上げなさいと言って、丁寧に1をひとつずつ積み上げてるところへ、「どうして100が作れないんだ!」とキレ散らかすのは、「日本的、あまりに日本的」な指導者だ。

プレイヤーは、「怒られたくない」から萎縮する。萎縮するから思うようにプレイができない。
できないのをまた指導者が怒る。
それはもともとは誰のせいなのか。

信頼関係

こういう指導者がこじらせるとどうなるかというと、結果として、嫌気が差した人は去って、周りには自分のイエスマンしか残らないから、当人は、自分は素晴らしい指導者だと思うのかもしれない。

だが、周りから諫言されない指導者は、自分はやばいと思うべきだし、時々周りに自分について正直に伝えてもらえるような環境作りを心がけ、まずプレイヤーとの間に信頼関係を築くことを第一に考えるべきだ。
でなければただの一方的な会話のドッチボールの始まりだ。

上手な指導者は、信頼関係を上手に築き上げ、共に成長していくから、指導者とプレイヤーの間に、常にプラスのフィードバックが循環してゆくことになる。

ど下手くそな指導者は、信頼関係の未完成な状態で、自分のことだけを考えてばんばんボールをぶつけてゆく。指導ができていない指導者とプレイヤーの間に、負のフィードバックが蓄積されてゆく。
いっぺん、益子さんに「叱って」もらうべき。

信頼関係が根本的に築けていない指導者の末路は哀れだ。
それで自殺した人も知っている。
気がついたら、自分の周りに誰も残っていなかった。
誰も、その指導者の近くにはいたくなかったのだ。

尊重すべきなのは何なのか。指導者のご機嫌は、稽古自体よりも大事なのか。

指導者が「嫌われるのには慣れている」などと言うのは全く自慢にならない。
信頼関係が築けないのに、人様に下手くそな指導をして時間と金を奪っているダメ指導者です、と自己紹介しているようなものだから。

私は指導者に嫌われるのは慣れているが、それは指導者に向かってこういうことを言うからだ。
今まで3人の大物の指導者に嫌われたが、3人とも指導がど下手くそで、そのうちのひとりが、前述の自殺した指導者だった。
とにかく本当に信頼関係を築けない、人付き合いに根本的な問題を抱えている人ばかりだった。

ひとりだけ、今も指導者として現役でいるが、それは数少ない周りの人が的確なフォローを入れて、指導者自身もそれを受け入れているから。そこだけは信頼関係が築けているのだが、100人前後の人間相手では、そのやり方では全員に真意は伝わらない。
だから、その指導者は、毎年自分のせいで困ってる。

誰のためなのか、何のためなのか

上手な指導者は、何が良くて何が良くないのか、はっきりとした問題意識を持ち、本来何がどうなるのが目的なのか、そのための指導はどうすると良いのかを明確に考えて行動している。
プレイヤーがどうなって欲しいのか、どうやると理解して上達できるのかは、一人ひとり勘所も違う。その勘所は、信頼関係があれば割と簡単に見つけられるはず。

目標を100として1が2になるほどの進歩でも、それを伝えて、更に、どうするともっと良くなるかを考えて伝える技術は、勘が良く生まれついた人ならともかく、そうでないなら、それは技術だから練習が必要だ。
それを怠って何でもプレイヤーのせいにして怒るのが、ど下手くそのやりかただ。

他人は他人であり、全て自分の言う通りになんかそうそううまくならないことに自覚的になって、壁にぶち当たってがんがん頭をぶつけるくらいの気持ちでないと、他人の人生の時間とお金を使わせてまでしていることに意味なんてなくなる。
信者を集めて怪しい商品を売ってる「教祖さま」と大差ない。
プレイヤーを「信者」にしてしまってはいけない。

目標設定はできているか


自分が何の目的で指導しているのか、それによってどうなるのが目標なのか、こうしたいという目標とそのために必要なことの短期目標と長期目標を徹底的に書き出して、指導の方針をはっきりさせる。

できれば短期長期構わず、百くらい思いつくままに書き出して、それを短期目標と長期目標に分類し、優先順位をつけ、期限を切れるものは期限を切り、関連している目標はぶら下げたりくっつけたりして、それぞれを実現するには何が必要かをどんどんどんどん書き足してゆけば、あっという間に指導要項の出来上がりである。

文書になっていればレビューができるから、なるべく多くのプレイヤーや指導陣に読んでもらってブラッシュアップしてゆけば、どうすると今の目標を叶えられるかを指導陣で共有できるし、プレイヤーも、稽古に臨むときに、今日のこの練習は何のためにやっているかが明確になる。
また、指導方針を知っていれば、一人稽古のときにだって、目標を立てやすくなる。

最後に

プレイヤーは指導者の暴言のゴミ箱ではないし、ゴミ箱があふれたら、捨てられるのはゴミではなく指導者だ。

指導したいことと一緒に打ち捨てられて、失われてもいいのならそれでもいいのかもしれないが、そんな指導者はいるのだろうか。

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