はしばゆうたろう

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  • 蜘蛛と箒レビュープロジェクト

    蜘蛛と箒のレビュープロジェクトで書いた記事をまとめました。

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    同人誌『tele-』で書いた原稿をまとめてみました。

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活動記録 橋場佑太郎

連絡先 : bashiba3244(at)gmail.com(橋場佑太郎) 2024美術批評「中原佑介「〈ルポルタージュ〉画家でない人たち」を読む」(『tele- vol.4 2024 spring / summer 特集:めがね』) 展覧会「折元立身 生活を感じる、おもしろい作品が生まれた。1946-2024」 副担当として Exhibition「Tatsumi Orimoto An interesting work was born!It makes you fee

    • ガザの民族浄化を止めるためのアクションとして、wixで作成したコミックD.T.のHPを消しました。みなさんも、この機会にぜひ。

      • ビルの窓辺のそのまた向こう ー「黄金町秋のバザール Koganecho International Artist’s Network 2023 誰も知らないアーティスト」

         8日、曇りときどき雨。バスで黄金町まで行き、バス停のそばから黄金町まであるく。黄金町駅から日の出駅の周辺には空き家をリノベーションした場があった。場のそばには大岡川が流れており、あとで、終戦後に不法の水上ホテルが運営されていたとしる。そして次第に青線地帯とよばれ、市は「横浜開港150周年」に向けて2005年に「バイバイ作戦」と呼ばれる警察の集中摘発をこの地帯に行ったという。その場に展示が開催されていた。  「黄金町バザール」とよばれ、2007年から組織された実行委員会によっ

        • スギ花粉に要注意 ー「生きろ④南壽イサム 『花粉の季節』」

           国立奥多摩美術館に行ってきた。美術館に入ると地面に杉の枝が円型にまとめられている。これらのスギを見て、私自身はスギ花粉症のため身の危険を感じてしまった。個人的な話をすれば、中高時代に学校の付近でスギの植林が行われており、花粉の季節になると花粉が空中を舞っていた光景を今も覚えている。そのためか、地面に置かれた植物がスギであるとすぐに分かった。会場では、「生きろ④南壽イサム 『花粉の季節』」が開催されていた。作者の南壽イサムは材木店出身であり、展示では映像作品が流れ、植林の風景

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        記事

          他者としての植物 ー「植物と歩く」

           家には成長し続けるポトスがいる。このポトスは1株から去年の夏以降8株くらいになり、家に置けなくなってしまった。そのため、知り合いに株分けをしたり、トイレに置いたりしながら増え続けるポトスを眺める生活が訪れた。その頃から、植物を育てるのは、全く知らない生物と過ごす時間と変わりないのではないのかと思えてきた。そうした視点で植物について考える機会は展覧会にどれ程あるのだろう。植物についての展覧会といえば、文化村で度々開催されるルドゥーテの展覧会や2015年に愛知県立美術館で開催さ

          他者としての植物 ー「植物と歩く」

          ビデオカメラから男性性をのぞいてみる ー「aftersun/アフターサン」

           『aftersun/アフターサン』を見に行った。「アフターサン」は、ビーチで塗る日焼け止めであり、この映画全体が抱えている感覚的な印象を伝えている。つまるところ、常にヒリヒリさせられる。映画の冒頭からビデオカメラの独特な「うぃーん」という音から始まる。見ている人の年代によっては、この音に馴染みがないだろう。舞台はトルコのリゾート地。夏休み期間中に父親と娘、2人だけのバカンスを父親の年齢になった娘が捉え返してゆく。そこで明かされるのは、「父親」という1人の男性が抱える多面性と

          ビデオカメラから男性性をのぞいてみる ー「aftersun/アフターサン」

          とおい家族 ー「Voyager is with you」

           大石一貴の個展「Voyager is with you」を見に行った。1階には壁掛けの彫刻が展示され、2階は暗室となっている。ボイジャーと聞いて、宇宙船の話を思い浮かべた。アメリカで行われたボイジャー計画は、wikiによれば、「太陽系の外惑星および太陽系外の探査計画」らしい。その宇宙船が象られた粘土の彫刻が天井からぶら下げられ、まず、それに目がいく。近づいてみると、奥に粘土の映像があり、光のハレーションの様なものが残像として、粘土から何層にも連なっている。よく見ると後方にカ

          とおい家族 ー「Voyager is with you」

          映画の形式と内容について ー「あの夏のアダム」

           渋谷の映画館で『あの夏のアダム』をみた。そもそもアダムって誰なんだ?となってしまうかもしれないが、この映画の主人公である。英題はADAMとなっており、この人物を主軸に展開する映画なのだと知った。舞台は2006年のアメリカ、10代のアダムにはニューヨークに住む姉がおり、アダムが姉のシェアハウスに夏の間のバカンスに訪れるという青春映画となっていた。ここで考えてしまったのが、アダムとドンピシャな年齢を生きた私の周りには、そうした家庭環境がそもそもあったのだろうかという話であり、こ

          映画の形式と内容について ー「あの夏のアダム」

          高速バス:水戸から東京まで ー「ポゼッサー」

           水戸の美術館から東京までの帰り道に高速バスを使って帰る。バスに乗ってから展示の解説文を複数にする方法とテーマとの相性を考えながら、アプリにダウンロードしていた映画をみた。高速バスでの過ごし方は音楽を聴いて寝るなど、人によって様々な選択種があり、その中から映画をみるのを選び取り、結果的にそれが展示の輪郭を辿る方法を取っていた。映画はブランドン・クローネンバーグの『ポゼッサー』という映画であり、他人の身体に入り込み、殺人を働く主人公によるSFノワールである。主人公のタシャは女性

          高速バス:水戸から東京まで ー「ポゼッサー」

          ホームを図書から開いてみる ー「Homemaking #2あたえられた土地と土」

           武蔵野プレイスで開催されている、「Homemaking #2あたえられた土地と土」を見に行った。この展覧会はHomemakingシリーズとなっており、前回は別の場で開催されている。人と芸術の居場所 (=ホーム)を考えるという位置づけから、展覧会と読書会がセットになった企画となっており、前回はトタンと呼ばれる民家のスペースで開催された。今回は図書館での開催となっており、より開かれたスペースとなっていた。企画者である奥誠之はペインターでもあり、図書館司書としても働いている。その

          ホームを図書から開いてみる ー「Homemaking #2あたえられた土地と土」

          不可視な領土 諸論

          『tele- vol.2 2023 spring / summer 特集:散歩』の特集企画「散歩談会」に掲載された文章です。  三鷹のハンモックカフェで岸田と落ち合う。ビルの2階にのぼり、店内に入ると漫画の書棚があり、スラムダンクを眺める岸田がいた。ハンモックに座って、コーヒーを飲みつつ岸田とシーシャを吸った。彼は最近文学よりも漫画を読んでいるらしい。『凪のお暇』の話になったりしていた。ハンモックに揺られながらシーシャを吸っていたら、藤野さんから岸田に電話がきていた。先に集

          不可視な領土 諸論

          徒歩で

          『tele- 創刊号 vol.1 2022 autumn / winter 特集:誤訳』に所収された文章です。  川縁から川縁まで、そこから更にその先の岸まで、歩けば歩くほど道が続いている。その眺めをみつつ、公園の周辺で圭一は横になろうとするも、遮る木目が公園のベンチの上に配置されたまま浮いていた。そこで待っていると、当然の様に「待ち時間」がきて、スマホをみると電話が何通かきている。  圭一は画面をみてから友達が目的地の道すがら、例の頻繁な迷子を知っていたりしていた。他に

          あの鑑賞の話 ー「大橋 藍 |パパ」  

           加害者と被害者との関係について考えたとき、書き慣れた言葉がすぐに載せられるネット空間について考えてしまう。それは、SNSを通して、プライベイトと公共との境がみえなくなってしまった昨今の状況をみるにつけ、常に考えなければならない問題だからだ。  大橋藍の個展について書こうと思う。ただ、どこまで書けるのか悩んでしまった。作家の個展であるのだが、作家自身の親族を直接作品として提示した作品が揃っていたからである。作品について書くことで親族について書いてしまう事になるのではないのか

          あの鑑賞の話 ー「大橋 藍 |パパ」  

          動かされた展示 ー「須賀 隆介 個展」

           富士見台にあるヒビノクラシカフェで行われている須賀隆介の個展を見に行った。須賀はこれまで、アニメや映画で取り上げられた銃を収集するかの様に絵を描いてきたという。今回はそれらを展示というフォーマットに落とし込み、映像の消費体験で行われるものの認識を見せていく実験的な試みだった。  展示空間はマンションの出店の一角の様な場となっており、障害者の自立生活支援を行なっているヒビノクラシ舎のカフェとして運営されている。そこで須賀は実際に支援として関わっている展示の企画者、岡本大河の

          動かされた展示 ー「須賀 隆介 個展」

          フィルムをソートにかける ー「自由が丘で」

           ホン・サンス監督の「自由が丘」は主に時間とそれにまつわる精神について、編纂という手法で整理された映画であると解釈した。  映画制作において、順撮りという脚本の時系列に沿って撮影していく撮り方がある。この映画ではその順撮りからまず、疑っている。その疑いは、カットを追う中でみえる。映画を見る中で気付かされるのは、これは過去なのか現在なのか未来なのかカット割りの間合いが自然に作られているため、初めは体験し得なかったカットを追う度に体験する目眩。そこで感じる、俳優はこの映画をどう

          フィルムをソートにかける ー「自由が丘で」

          推し/押す/スワイプ ー「推し、燃ゆ」

           小説とは様々な群像を想起させる描写から別の接点を見出す所に面白さがある。著者、宇佐見りんの『推し、燃ゆ』は主人公、あかりが「推している」アイドルとその周りを描写によって構成されている。そこで、「推し」とは何か気になってくる。それはアイドルの中で特に人に「すすめたくなる」意味もあるが、著者は「推し」を「押す」と捉え、主人公と推しの同一化を測ったとも考えさせられる。そして、文章には度々「背骨」が登場する。  序盤、バイトのお金で友人と遊びに行く行為を「肉付け」と主人公は解釈す

          推し/押す/スワイプ ー「推し、燃ゆ」