カリフォルニア檸檬

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https://twitter.com/y_aao/status/1579468211447554049?s=46&t=Oiio09nxc1MmXYbe4egBzQ

    • 【再読】染野太朗の第三歌集『初恋』の

      ありがたいことに、わりと日常的に歌集の再読機運を得ることが多くある。実際に再読できる場合とか、再読した結果やっぱり所感は変わらなかったりとか、まぁいろいろはあり。もちろん、ふつうに機運を逃し再読できない場合もあり。 という感じで今、再読した染野太朗の歌集『初恋』があり、みんな既に通読はしてると思うけど……っていうつもりで、このテキストがあるとして。 やっぱりなんだよなぁ……と思うところに、 なんか、ずっと過去の話みたいな列挙に見える というのがある。それは、恋バナ(が、歌

      • 【仮説】五島諭の短歌〈女の子に守られて生きていきたいとときどき思うだけの新世紀〉における結句の

        つまり、 という言質によって、二種類の結句を対比できる。 【邪推】 しかし、あまりにも〈穂村弘〉の影響下を感じるが〈穂村弘〉以後の展開として 初期の「六畳間」では、いささか〈永井祐〉の路線になる……なりかねるのを回避、あるいは脱却するための「けの新世紀」なのだ というのは、どうだろう? (つまり「新世紀」は〈穂村弘〉の領分だ、と見立てている。が、しかし実際の〈穂村弘の短歌〉そのもの というよりは〈穂村弘〉の影響下に見える、と言っている) 【自説】 六畳間/新世紀 には、

        • コンディション↓ 5月に頒布予定のもので、もし【今号評】的な需要があれば ご相談ください 可能な限り、目的とか期待値とかに折り合いをつけつつ作成します 楽な連絡手段で大丈夫です

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        • 【フィクション・エッセイ】
          10本

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          【トライアル2311】

          あとかけら 痺れるあとかたのあまりにも致命的メモリーフラッシュ ぱっと見ぱっと見ただけの目の前まばたくまでのありえりのボリューム ゆったり言ったそばから破裂音ばかり終わらない限界ひかりまち しかも皆目かもってもってのほか見当 一切なくなって見た目 形から入るにしてはシンプルに実寸大砂場 つけっぱなしなしっぱなし つきよつうか すばやさのとぎれのところ しゃべってる月夜しゃべって通過する一息分 積んである話ばかり ずいぶん骨の折れそうな見解で骨が折れる前ほどの感光 とびっきり長

          【トライアル2311】

          散文〈祝祭〉「今は〈祝祭〉というタイトルで書き、まとめ始めた私的ノート」

          去年のタイミングで作成した散文集を公開します。

          散文〈祝祭〉「今は〈祝祭〉というタイトルで書き、まとめ始めた私的ノート」

          【テキスト出力】

          タスク過多により自身のキャパシティを超えるくらいの状態になったこと、を示す用例で「キャパってる」という文字列を観測した。 急に「キャパってる」とだけ言われる、あるいはメッセージされるだけでは、文脈がないと共有不可能だと思う。 ちなみに今、私はキャパってない。 いわゆるキャパってる状態ではない、のだけれど、おそらく「キャパってない」という使用は想定されていない。 あくまで「キャパってる」としか使用されない。 どういうことかというと「自身のキャパシティを超えるくらいの状況」も「

          【フィクション・エッセイ】所感20230613

          春は化けもの。 ようよう白くなりゆく化けもの。 何が化けて、その。 何が化けた、もの? 元々から、化けもの。 もう、そろそろ春じゃなくなっているけど。 春が化けもの。 ようよう白くなりゆく、なりゆき。 なりゆきとして、ずっと化けもの。 化けの皮はがし、ってする恐怖(ニュアンス)の感情。 化けの皮はがされ、ってのは? 春は化けの皮はがされ。 ようよう白くなりゆく化け皮。 皮下にある、その。 皮下が化けて、何? 元々から、化けもの。 皮下にあるのが、自分と同じってわけじゃない

          【フィクション・エッセイ】所感20230613

          【再掲】望月裕二郎『あそこ』十二首評

          集合……集合体の一種として歌集という媒体があるときの、歌集『あそこ』には、おおざっぱに言ってしまうと、反応のなさに対する〈問いかけ〉が多くあるような印象がある。そのとき、反応のなさは〈問いかけ〉の対象が〈言葉〉であるから。だとすると、反応したくなっている私が〈人間〉であることを申し訳なく感じる。 ↑いささか、理想論に近い(当時の)リード文↑ ↓このような物言いになる2020年11月の(たぶん今も、そんなに変わらない限界地?)↓  この「から/に」の間に〈私〉はいない、と

          【再掲】望月裕二郎『あそこ』十二首評

          20230306

          しばらくTikTokを見てなかったからか今、だいたい1ヶ月くらい前の動画ばかり「おすすめ」されてくる現状ありさま。 ちょうど同じくらいの時間、ざっくり3週間くらいSEKAI NO OWARIのアルバムをリピート再生しながら村上春樹の小説『ねじまき鳥クロニクル』を読んでいて本当に〈終〉……って感じのゾーンがある。 あんまり読み進みは捗ってなくて、今やっと第二部が終わったところあと第三部なんだけど、なかなか厚みがある。たぶん三月いっぱい読み進める気がするんだけど、大丈夫だろうか

          【2023.0】

          ということで、 1月中旬(3週間くらい前)に、定期刊行短歌誌『エリア解放区』の0号が出来上がりました。 京都文フリ(今回の寄稿者の一人である奧村鼓太郎氏が関わるブースがあり、取り扱いいただきました。 ブース関係者の皆さま、ありがとうございます)や、そろそろ通販のほうも落ち着いてきて 既に今お手元にある方々は、お読みいただいていますでしょう。    ▽ 基本的に、 他に活動の場があり、多かれ少なかれ、その現場も垣間見えるような とはいえ、各々の現場を紹介するに留まらないよ

          【2023.0】

          【フィクション・エッセイ】青松輝の短歌を読んだ⑦「vocal(2022)」(『上智詩歌 創刊号』2022年11月1日)の頃

          水道橋駅前のコメダ珈琲店。 地上からすると2階の位置にあって、商業施設のような空間の玄関口みたいな感じでの位置どりにある。店内は外から見るよりは案外、小ぢんまりしているし、店内も特段、広いってわけではない。 下北沢店も地上からすると2階の位置にあるけれど、外から見ると小ぢんまりとした建物の中にあるようで、店内は意外と開放感がある。 けれど実際のところ2店舗の席数や敷地面積は、大差ないかもしれない。 これは〈私〉の入店時の主観だ。    ・ 在学生にとっても久しぶりの大学祭

          【フィクション・エッセイ】青松輝の短歌を読んだ⑦「vocal(2022)」(『上智詩歌 創刊号』2022年11月1日)の頃

          【取り急ぎ20221222】

          これ(まとまった文字数になってます)の公開場所やタイミングを探しています。ひっ迫しているような気もするし、余計なことしないほうがいい気もするのですがタイミングは何も分からない。 このままだと、自分で場をつくって公開することになるかも。 それはそうとしても、定期刊行誌2023するかも(できたい) みんなに、たのしんでほしいな(みんな???)    ○ なんか今、ふつうにメルマガあると便利なんじゃないかって思う。 短歌に限らず、いろんな活動で……    ○    ○

          【取り急ぎ20221222】

          【なんか日記】的な20221120+通販情報の追記

          ↑前回の    ・ ↓今回の 手短かに。    【き-64 おだやかな視点】 というブースで5月と同様、今回も「おだやかな視点のなかのカリフォルニア檸檬」という体裁になっています。たどりついてください……    【合同誌】 ↓匿名通販↓ karilemo.booth.pm/items/4330105    【個人誌】 散文〈祝祭〉 「今は〈祝祭〉というタイトルで書き、まとめ始めた私的ノート」 っていう情緒? たぶん↑のような主旨の約30,000字です。

          【なんか日記】的な20221120+通販情報の追記

          堂園昌彦の歌集『やがて秋茄子へと到る』試論・精読2022

          短歌を読む喜び、というものがある。 喜びの内訳・要因は、短歌側にとっても読者側にとっても千差万別でありケースバイケースであるが、歌集『やがて秋茄子へと到る』には、ある種の極端さが過多にある。 ある種の、詩情のようなもの。ちなみに叙情や抒情は、あらわす行為に対して使用されるのだとすると、叙情・抒情での極端さもあるにしても少しズレがあるように思う。 ここでいう詩情のようなものを、いったん〈それ〉と表記したい。 とはいえ歌集『やがて秋茄子へと到る』を読みながら、詩情、あるいは叙情・

          堂園昌彦の歌集『やがて秋茄子へと到る』試論・精読2022

          【体感速報】大森静佳の歌集『ヘクタール』を読んだ

          https://twitter.com/y_aao/status/1549034411098001409?s=46&t=YQ98Z0_jsjpcqHf5jYxl9Q ↑ が刊行前の、ほぼほぼ全ての所感で、前作『カミーユ』刊行以後ますますパブリックでの活動が増えたように見える〈大森静佳〉が自身の新しい歌集を、どのように仕上げ、提示してくるかへの興味と期待が高まっていた。 https://note.com/y_aao/n/n6573a31a2794 ↑歌集『カミーユ』私的偏

          【体感速報】大森静佳の歌集『ヘクタール』を読んだ