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DREAMS COME TRUE in WONDERLAND2023は愛のなかに放り込まれる体験


このショーの会場をスタンド席から俯瞰で見ていると、全体が吉田美和を中心にした気象現象のようであった。それは竜巻や嵐が吹き、やがておだやかな日だまりとなり、時にはオーロラの景色を見せた。我々はなぎ倒され、温められ、美しさに息を呑む。ドーム全てを一変させる人間離れしたその威力を、再確認していた。

DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2023は、演劇的なアプローチが盛り込まれ、より親密に、パーソナルな体験として身に迫ってきた。これはラスベガスでのショー視察の成果ではなかろうか。アメリカのエンターテイメントの傾向も、ダイナミックなもの、絵空事を体験するものよりも、自分(観客)の身体性を思い起こさせることで、強い共感を得るものが近年増えてきている。

オープニングの吉田美和のフライングのなかにも、ストーリー性を強く感じた。
それはまるで、天空の城ラピュタ、またはナウシカの世界だ。
暗闇となった世界。センターに配置されたドリームキャッチャーに、雷が落ちる。雷は太古から生命の誕生のメタファーだ。
ドリームキャッチャー全面モニターに映像が映し出され、蔓の伸びる大樹になる。
(このデザインはマリオの蔦の伸びるゲームのモチーフも思い起こさせた)
大樹の妖精か、植物の女神のように、吉田美和が産まれ出、歌声が聴こえた。

オープニングからこの吉田美和の登場までにステージに現れてきたダンサーやミュージシャンはどこか無機質で匿名性が強い緑の衣装を纏っていた。映像で壁面を構成されていた世界。そこに飛び込んでくる生身の身体。
2Dの世界が急に立体になり、しかも、私たちのところまでリアルに飛んできてくれ、私たちをしっかりと見る。
目が合う。
手を振る。
私たちは「観客」であったのが、一気にこのショーの「一員」になる。
歌詞の「あなた丸ごと 迎えにきます」を体現している。彼女がショーの世界に、本当に「迎えにきて」くれる。

歌の中盤、ネオンが光る金魚様の生命体が、ゆっくりと自由に(それは本当の生き物のように自由な動きだった!)吉田美和に近付いてくる。
そっと空中で留まる吉田美和が、すっと指先を差し出す。
生命体は、安心したように彼女の手にとまる。
清らかで優しいストーリーがその一瞬の動きで伝わり、このショーの神話が未来や過去に起きた物語にも感じられる。彼女が、誰かと意思を疎通しあう物語が、これからずっと展開されていくのだ。それはバンドメンバーや、ダンサー、中村正人、各チーフデザイナー、スタッフら、そして、私たち観客との。

特に演劇的だと感じたのは、「LOVE LOVE LOVE」だ。観客のライトスティックと、オレンジ色の丸いランタンの明かりだけが会場内に灯る。
ほとんど顔も見えないほどの暗さが、私たちの日常に現れるときーそれは、非常時、災害時を思い出させた。
コロナ禍の非常事態のなか、たったすこしの、目の先しか見えないほどの希望をにぎりしめて、その明かりを元にわたしたちは歌い、聴き、心を温めてきた。それだけで充分だった。あなたの声だけが聴こえれば、それは大きな希望に膨らむ。
その明かりが届くところまでは、優しい笑顔を届けよう。
この声が届く世界全体を、吉田美和は救っていた。
姿が見えない分、それはより遠くまで。
ランタンでわずかに見えるだけの、影になった吉田美和の表情を見た。とてもやさしいやさしい顔をしていた。

チェンバロ、シタールの印象的なオープニングのなかで、マーセラスが唱えた詩は、聖書の一節だった。「愛とは、寛容で、忍耐強く…(英文)」途中から愛とはDREAMS COME TRUE、愛とはワンダーランド、愛とはここにある、と続き、歌が始まった。

あそこまで暗闇を作る勇気をもったスタッフ、演出考案者全員を賛えたい。あれだけ個人的な感情を共有する演出が見るものに届くと判断した、観客を信頼する勇気。そして、それに応えるように、わずかばかりの照らされた世界を見て、歌に込められたなにかを感じ取った観客たち。

全編に通じると感じた吉田美和の対象への信頼感。
彼女はミュージシャンたちに、ダンサーたちに、デザイナーたちに、中村正人に。
このステージまでの信頼を積み上げて、ショー当日には、全て身を委ねて自由に楽しんでいるように見えた。

生涯にこんなドレスが作れたら本望だろうなと思わせるほどの、美空ひばりの赤のドレスにも匹敵する“その人のそれまで”を全て表してしまうようなドレス。それをデザイナーと話し合い、作り上げた信頼感。これは歴史に残るドレスであろうなと、一瞬にして納得させられた。あのドレスを着て歌う吉田美和が見られるデザイナーは、幸せ極まりないだろう。

羽を持つ恋人の衣装もすばらしかった。
徐々に曲が明らかになるスピードと一致しながら、膨らむ衣装。曲が始まる瞬間に完全となり、それは蝶の羽であったとわかる。とてもとても大きく、もし人間が虫のサイズになって、羽を持つとしたらこのサイズだろうというサイズ感だ。大きな大きな羽を持つ吉田美和とダンサーが漂うと、そのステージは草の中で小さな虫たちが奏でる音楽会のように見えてくる。JAZZYで大人な虫たちだ。彼らは円形のステージのなかで時に目配せしながら、踊りながら、あるいは腰掛けてその演奏に耳を傾けながら音楽を楽しんでいる。わたしたちは、それを遠くからそっと眺めている羽を持たない人間(あなた)のように見えていた。愛おしくて愛おしくて、側にいきたいけれど、その世界を壊したくない。その世界を守っていてあげる。

「あの夏の花火」でそっと吉田美和が目線を天に仰ぐ一瞬、奇跡が見えた。
リアルに照明で星座がなかったとしても、私には天空が見えた。
吉田美和や中村正人は、自らを「演技は不得意」と自称するが、空中でも自由に身体を操ることに長け、見るものの視線を一気に集める特有の主人公感、ここぞという瞬間に絶対外さないアクションをするリズム感は、演劇的に相当高度な技術を持っていると見受ける。

彼女がそっと目線をうごかすだけで、見えなかったものが生まれ、私たちは信じられる。そして、同じものを見て、場を、感情を、共有する。
彼女の動きには物語を作る力がある。
それは、私達を信じさせてくれる。

ワンダーランドの間だけの鍛錬ではなく、吉田美和が日常で、どれだけこのショーのために日々をプロフェッショナルに生きているかを思い起こさせた。
その説得力は、付け焼き刃では成り立ちようがない。
例えばそれは、有名な大谷翔平の学生のころからのルーティンにある「挨拶をする」「掃除をする」「思いやり」といった自分を律するものだ。突然にはプレイできない、日々の絶え間ない鍛錬がある上の、動きだからこそ、私達は信じられる。
(これは偶然だが、その後のワンダーランドについてのインタビューで中村正人も吉田美和を大谷選手に例えていた。)

彼らの今回のワンダーランドは、「今持つ力を、積み重ねて、やり切った」という表明のようにも感じた。
ここまで歩んできた道のどれが欠けてもこのショーにはならなかった。奇跡の積み重ねでできている。

忘れていた。力いっぱい信頼する誰かに自分の球を投げることの、美しさ、爽やかさ。

吉田美和が会場にもたらす世界は、その美しさに満ち溢れていた。
今聴ける豊かなやさしい吉田美和の声を響かせた世界は、とても、とても美しい。

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と、ここまでをはじめてワンダーランドを見た大阪公演の帰りの飛行機の中で書いていた。
しかしその後日常を過ごす中でも、ワンダーランドがもたらした心の種が育っていると毎日感じて、新しい発見が繰り返された。
言葉にしてしまって、この心の動きを閉じ込めてしまってはもったいない。
そういう類の感動がそこにはあった。
なので、ぜひ、自分の目で見て、感じてほしい。
2023年のワンダーランドは、いち早く、U-NEXTで配信される。

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