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子育てをするなかで感じたことを書いています

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最近の記事

DREAMS COME TRUE in WONDERLAND2023は愛のなかに放り込まれる体験

このショーの会場をスタンド席から俯瞰で見ていると、全体が吉田美和を中心にした気象現象のようであった。それは竜巻や嵐が吹き、やがておだやかな日だまりとなり、時にはオーロラの景色を見せた。我々はなぎ倒され、温められ、美しさに息を呑む。ドーム全てを一変させる人間離れしたその威力を、再確認していた。 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2023は、演劇的なアプローチが盛り込まれ、より親密に、パーソナルな体験として身に迫ってきた。これはラスベガスでのショー視察の成

    • ドラマが好きな理由

      泣きたいような、なにもしたくないような塞ぎこんだ気持ちの日、私は、私に似た顔の 年上の女優が主演するドラマを見る。 初対面の人には「あの人に似ているって言われますよね?」と、顔が安定してくる中学生あたりから必ず言われてきた。 年若い頃のその人は華やかで、自分と顔がそっくりではあっても、自分とは全く正反対のパーソナリティを持っているのだろうと思っていた。だから、初対面の時、似ていますねと言われる度に、いつもどこか気まずい気持ちになっていた。相手が容姿に期待するパーソナリティを

      • 歌で愛を放つDREAMS COME TRUE

        ドリカムはなぜすべての人に曲を伝えたいのか?ドリカムのファン復帰から3ヶ月たらず、やっと先程全てのライブ映像を見終えた。そしてずっと考えていたことの答えのようなものが見えたので書き記す。 ファン復帰をして不思議に感じたのは、ドリカムはなぜ、どんなひとにも分け隔てなく自分たちの曲を聴いてほしいのか?という疑問だった。 それは単純にセールスがあればそれをもとにまた音楽制作ができるからだろうかと推測していたが、違った。 わかる人にだけ届けばいい、というアーティストも沢山いる。

        • ファン復帰してやっと私を取り戻したのでありがとうと各方面に言いたい

          ドリカムの新曲「YES AND NO」を聴いてから1ヶ月のなかで、私は様々なひとたちに助けられてドリカム復帰ができた。 ばたこさん「私はドリカムが聴けなくなった」というnoteを拝読したことがとても大きな出来事であった。ずっと遠ざかっていた自分とドリカムとの距離。同じようなときに体験されている方がいて、才能あふれるユーモアある文体でかかれたnoteは、それを読んだ日から私の頭のなかで繰り返し繰り返し思い出されていた。ファン特有の辛さ、とくに「結婚をしてもご祝儀も包めない」の

        DREAMS COME TRUE in WONDERLAND2023は愛のなかに放り込まれる体験

        • ドラマが好きな理由

        • 歌で愛を放つDREAMS COME TRUE

        • ファン復帰してやっと私を取り戻したのでありがとうと各方面に言いたい

          ドリカムとわたし

          小学生のときに、ドリカムに出会った。新しいアルバムのCMで、水中を泳ぐ美和ちゃんの鮮やかな赤い衣装と、伸びる歌声。一度みたら、忘れられなくなった。 私は父親に頼んでレンタルショップで借りたそのアルバムを、テープに録音して、何度も何度も、繰り返し聞く。美和ちゃんの歌声と、キュートなルックス。 聞きすぎてテープが劣化しはじめるんじゃないかという頃、貯めたお年玉を全て使って全アルバムを買った。ライヴにも毎年行くようになり、ファンクラブにも入った。 小学生の私のすべてだったドリ

          ドリカムとわたし

          自己否定感の芽のありか

          むすめが6月からはじめて保育園に通うようになった。生まれてはじめての社会。 そして私にとってもはじめての保育士の先生との関わり。 これは娘から聞いた話なので、細かい差異はあるかもしれないが…。先生に『フラフラマン』と呼ばれている子がいる。どうやら食事中に席を立ってしまうこどもを、『フラフラマン』とよんでいるそうなのだ。 私はこの話を聞いたとき、毛が逆立つほど怒った。 人を注意するやり方として、その行為を『いけないよ』と伝えるのではなく、その存在を(食事中の一時的であれ)

          自己否定感の芽のありか

          藤の木の蛇

          散歩道に白い蛇が寝ている。守り神だと言う。動いているところは見たことがない。いまは藤の緑の木の上で横になっているところだ。顔も見えないので、最初はへびなのかとうかも分からなかった。白いなにかがあるなと近づいてよく見たらうろこがみえてきたのだ。 役に立つことばかり目にはいる。そうなってくると、役に立つことにばかり存在意義を見出がちになる。 散歩して急に表れる季節おりの私を驚かせるなにか。それを受け止めるだけでもういいのではないかと。今日もどくだみのしこみに忙しいしニンニクも

          藤の木の蛇

          気のあう街

          今まで行ったことがあり、気が合うなあと感じた街。いつか住んでみたい。 長野の善光寺、鎌倉、西荻窪、横浜山手。 山手はやはり同じように気が合うなあと感じたので一人暮らしをするときに選んだ街。 猫と暮らした毎日は、いまだに思い出すと帰りたくなるくらい、幸せな時間だった。 山の上のちいさなアパートの角部屋。 窓がふたつ。ひとつは観覧車が見える窓で、観覧車の時計で時間を知ることができた。いつもそこから猫と眺めていた。夏には花火が見えた。夕暮れが山を染めていく時間に、網戸から

          気のあう街