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神奈川20区で挑戦者として立つ

日本維新の会に

この度、私は6月20日付で日本維新の会衆議院神奈川20区(相模原市南区、座間市)支部長に就任いたしました。対戦相手は自民党の甘利明氏です。高い知名度を誇る強敵ですが、私の政治家としての目的である「景気回復、賃金アップと減税の実現」のために必ず戦いに勝つことをお誓いいたします。

これまで無所属でいた理由

2016年の参議院選挙(神奈川選挙区)落選から、どの政党の役職にもつかず、無所属で過ごしてきました。できれば早く政界に復帰したいと常に考えていましたが、立候補に踏み切れなかった大きな理由は、私自身が2013年以降、民主党神奈川県連代表として擁立に携わった方々に対して対立候補として立候補するわけにはいかないからでした。今回、衆議院の定数是正10増10減により県内に2つの新しい選挙区が生まれました。そこで私が擁立した戦友たちと争わなくても済む状況になったのです。結果的に党派は違ってしまいましたが、今の神奈川県の立憲民主党には大勢の優秀な人材がおり、彼らの政治家としての成功をひそかに祈っています。

安倍晋三さんが亡くなった

もう一つ大きな理由は、安倍晋三さんが亡くなったことです。安倍晋三元総理とは消費増税問題と対ロシア外交以外はほとんど政策が一致していました。復興増税反対運動、デフレ脱却国民会議などの官僚対策、チベット・台湾などの対中政策、北朝鮮による拉致問題などについて私の参議院議員在職時代から党派を越えたお付き合いをさせていただきました。

2011年1月に、民主党内のデフレ脱却議員連盟で作成した日銀による長期国債買い切りオペとバランスシート拡大、インフレ目標政策を当時は野党の一衆議院議員であった安倍さんに提案し、自民党内でも広めていただくために持っていきました。のちにアベノミクスの異次元の金融緩和政策となるアイディアを安倍さんに説いた最も初期の人間の一人が私でした。のちに私が国会で総理となった安倍さんに経済問題で質問をすると、必ず「現在の安倍内閣の金融政策は野党時代に金子委員にご指導いただいたとおりにやっております」とまずけん制されたことも今となっては良い思い出です。

迷走する政権与党

安倍晋三さんが目を光らせている間は自民党政権も大丈夫だろうと思っていたのですが、参議院選挙の最終盤、2022年7月8日に誰もが予期できないテロが起き、突然、安倍さんはこの世を去られました。その後、リーダーシップに欠けた岸田政権は財務省官僚の増税路線にやすやすと乗ってしまい、防衛費倍増や異次元の少子化対策の財源も増税によって賄われる模様です。退職金にも増税、また、高校生の扶養控除も廃止になってしまうかもしれません。また、LGBT法のように当のLGBTの大勢の皆さんからも批判を受けている有害無益な立法も目立ちます。
岸田総理の就任前には令和版所得倍増計画を掲げておられて、大変期待したのですが、いつのまにかどこかへ消えてしまいました。官僚に丸め込まれてしまったのでしょうか。内閣総理大臣というのは自らのビジョンを実現するポストのはずなのですが、岸田政権ではどんどんと役人のペースにはまってしまっているのです。

こうした政局を見て、いてもたってもいられなくなりました。私には旧経済企画庁やOECDでの官庁エコノミストとしての経験があります。今も大学で経済学を教えています。参議院議員時代には当時の民主党政権執行部の意向に反して、金融緩和政策や消費増税・震災復興増税反対といった官僚の意には沿わないものの国民を豊かにする経済政策を提案してきました。残念ながら今の岸田政権も当時の民主党と同じく官僚の意を酌んでばかりの政権です。官僚の暴走を許しては、日本は第二の敗戦をむかえるでしょう。今また政治家として立って、わが国のために働くべきではないか。

改革保守政党・日本維新の会

かつて私は政権交代可能な二大保守政党体制を作り上げるために、内閣府を退職し、民主党に入りました。当時は自民党出身者など保守的な方々も大勢いたからでした。しかし当時の民主党の流れをくむ立憲民主党からは、今や保守的な政治家はほぼ一掃され、55年体制下の社会党にも劣る、当選のためには共産党とも連携するという現状維持の左翼政党に堕してしまいました。今ご縁があり日本維新の会という改革保守を掲げる政党と出会うことができました。日本維新の会の仲間入りをしてもう一度、政権交代可能な政治体制を作ることが私の願いです。

もちろん政権与党の壁は厚く、神奈川20区での自民党甘利明氏との知名度や財力の差は大きいのですが、ひるむことなく挑戦者としてこれから全力をあげて戦ってまいります。どうか皆様の応援を心からお待ちしています。ともにわが国のために戦いましょう。

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