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歌の作り方

 noteを始めて1年半ほどになりますが、それまでの自分と違った大きな変化がありました。それは短歌を書くようになったことです。
 noteのコミュニティの中で詩歌杯を定期的に開催しているところがあって、これまでに十六夜杯・白熊杯・ライラック杯と三回参加しています。それらの大会は短歌の他に俳句や川柳でも参加することが出来るようになっています。

 僕は基本的には仕事人間だったので、書く記事は主にビジネスに関連するもの、読む本もビジネス本、趣味はスポーツ観戦、息抜きはお酒、と風情のかけらもない人生だったので、まさか自分が短歌を詠むことになるとは思っていませんでした。
 ただ(多分)興味はあったのだと思います。学生の頃に好きな・得意な教科は国語で、教科書に出てくる小説や詩や俳句などを見るのも好きでした。
 なので、元々興味のあった詩歌に、note活動を始めたこと、そして上述したnote内で詩歌の大会が開催されていることが重なって、投稿してみようという一歩を踏み出したというわけです。

 はじめは自分が書いた歌を人前に出すのは何だか恥ずかしく躊躇しましたが、慣れてみれば楽しいし、他の人の歌を見るのも好きです。今後も参加していきたいと思っています。

 さて、そんなただの素人歌人(と称するのも烏滸がましい)の僕ですが、素人は素人なりの歌を作ることへのこだわりがあります。
 
 それは「余白をもたせること」です。
 
 例えば、人によっては投稿する歌とともに、その歌の背景や解説を付ける人がいるのですが、それがいいとか悪いとかではなくて、(自分の伝えたいメッセージをより明確に伝えるためにはそういった解説文などを添える方がいいと思います)ただ、僕はそれはせずにシンプルに歌を載せるだけにしています。

 そうすることで、歌に「解釈する余白」が生まれ、歌から思い描くイメージが、詠んだ人それぞれによって千差万別に生まれてくると思うのです。
 それは、その人がその歌を詠んでイメージした瞬間から、僕の歌ではなくなり、詠んだ人の歌になるということです。そして詠んでくれた人の分だけ、新しい歌が生まれ、その意味で、はじめ僕から生まれた歌は無限になっていくと思うのです。
 だから僕は表現も、出来るだけ解釈する余白が残るように気を付けています。(ちなみに僕の個人理念は「余白のある人生を」です。)

 みなさんも興味が湧いたら、是非詩歌杯に参加されてみてはどうでしょうか?楽しいですよ😊

<過去作品>

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