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わたしの「人が好き」な理由

春、自己紹介シーズン、
趣味と言えるほどのものがなくて、毎度困る。

うーん、でも人は好き。とにかく人が好き。
その理由が少しずつわかってきたので、思い立って記録する。



まるいような人がいて、尖ったような人もいて、
想像を超えたことをする人がいて、
いつものルーティンを大切にする人もいて、
ゆっくりする人がいて、せかせかする人もいて、

ほんとうにたのしくて。
似てる性格とかタイプ別に分類することは流行っているけれど、
結局、同じ人は1人もいないから、たのしい。
あと考えてることは違うけど、それが伝わった時とかちょっとわかった時、なんかうれしい。
環境や状況によって、人の見せる顔や行動も変化していくし、人は成長したり衰退したり変化していく存在だから、それもまたたのしい。

同じものを観たり、聴いたりする時
その楽しみ方とか見方が全く違うのも良い。
例えば、音楽を聴く。
ある人はそのリズムにのること、音を楽しむことをしている。ある人は歌詞を味わっている。
そしてある人は自分の中で設定を作り出して、現実世界をこえてそのシチュエーション•自分の世界の中で、音楽を聴くということを楽しんでいる。

ほんとうにたのしい。
私はふだん音楽を聴いたり、芸術を鑑賞したりあまりする方ではないけれど、こうやって人が持っている趣味の楽しみ方を聞くことをたのしんでいる。
同じ趣味でも着眼点の異なるところがあったり、重なるところもあったりして、おもしろい。
そしていわゆる推し活みたいに、自分はこれが好きだ!とはっきりと言えるものに既に出会えているということ、それはとても羨ましく、素敵だと思う。


人が出会って、そこから何かが生まれていく、
その瞬間もすごく好き。

生まれるものは大きなものから小さなものまでいろんなものがある。それもおもしろい。


時々、自分の考えを超えたものや相容れない考えを受け入れられないことがある。

今まではそれについて、相手やそこにある物事に対して、なぜそうなっているのか・なぜこうあるべきなのにそうでないのか、そう思うことが多くて、自分が受け入れられていないという事実に向き合ってこなかった気がする。

でも、いろんな人やものと出会っていくと、否応なしに見方が広げられるような感覚になって、
ふと、頑固な自分に気がつく。

そんな自分がいるから、
人が好きでありたいんだと思う。
こうあるべきから離れて、
それぞれがいるからこそ、おもしろくて、
それを忘れずにいたいから、
あとは、そんな自分もこうやって人と一緒にいてもいいんだって思いたいから、
今日も明日もこれからも人と出会って出会って
たくさんの人と関わっていたいんだと思う。


できないことを自覚する。
そしたら、じゃあもっと他の人にお願いしたり、繋がったり、頼ってみればいいのか!と思える。
そう思える環境にいる私はとても幸せだと思う。

おんなじようにそう思える人が増えるといいな。


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