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ゆるく、たのしく、おもしろがれたら。「ふくしの大学生」の私が考えていること。

はじめまして。
インターンをきっかけにnoteをはじめちゃうことに。
インプットだけで、どこかしっくりこなさを感じていた。アウトプットしてみることにした。
量を書くことも時には必要かもしれない。まだ、自分のスタイルみたいなものもない。
だからこそ書けるものもあるかもしれない。

noteを書いていて、かもしれない。という言葉が多いなとか気づいたりもした。

こんなわたし
かんたんに。自分をあらわすもの↓
・大学生
・福祉の学部
・バナナが苦手 
・小中高と水泳で培った強靭な肩幅 などなど。

ジャガイモ。
フィルムカメラを時々使って写真を撮るのが好き。

なんていえば、いいんだろう
「大学では福祉を学んでいます。」
自分はこの言葉に逃げている?と思うことがあった。

大学に入っていろいろな立場の人と関わったり、実習に行ったりする中で、悶々とした気持ちを抱えていた。

高校生の時のある視覚障害者との出会いが福祉を学ぶきっかけになった。道案内をしてくれと言われて、地元であったから自信満々で意気込んでいたのに、ぜんぜん違うところに連れて行ってしまった。緊張してしまって、相手が話をしていたのにまったく応えず、別のとこに連れて行って、「この辺まで来たらわかりますよ!」と相手に気を使われた、あの日。

自分はあの人のこと、「視覚障害者」としてしか見ていなかったんだ。

時間を置いてからそう思って、なんとなくだったのか自分でしっかりと選んだのかは忘れてしまったけれど、福祉の道を選んでいた。まわりにも「福祉に行きたいなって思ってる」って言うようになった。

母親が介護職だったため、もともとは福祉って大変そうだから行きたくないな、くらいの気持ちだった。それを覆す、小さくて大きな出会い。

カフェに行くのもわりと好き。
最近コーヒーを飲めるようになったのでもっと楽しめそう。


違いをおもしろがる——

そんな考え方と出会う。生まれてきて、いろんなことがあるけれど、あ、なんか生きててよかったのかもなぁ、そう思える社会がいいなと何度か考えたことがある。そのためにはいろんな人が存在してること、まわりを見て、なんか自分もいていいのかも。そう思えるような環境がいる。

でも、学べば学ぶほど、どうにもいかないことがあること、言葉で綺麗にまとめられていても、実際はなんともいえない歯がゆい思いの連続があることなどを知る。

人の暮らし全てを福祉がカバーするのは難しい。実習に行って支援計画を考える中で、人の暮らしってこんなにもたくさんの要素があるのか、と驚く。1人の人でも、この人はこんな人なのかなとか、こんな可能性もあるなとかこんな見立てもできるなとか、本当にたくさんのことを考えた。
福祉の枠組みからはみ出して、もっと軽やかに、連携とか言葉で言うようにかんたんにできればいいのにな、とも思った。
でも福祉とか支援の視点から考えないと、とどこかで思っていた。

「福祉を学んでる」ってそういうことだっけ。

なんていえばいいのか、まだわからない。
でも、自分がその言葉に隠れている気がした。
ここまでしかできない。とか自分には無理だ。と諦める言い訳にしているような気もした。
だから、ゆるく、たのしく、おもしろがることにした。一見すると、何かよくわからないことを言っている人と思われるかもしれない。

ゆるく
→たくさんのことをとり入れられる寛容さを。

たのしく
→楽しいことは全ての基本かな。

おもしろがる
→違いをおもしろがることは多様性に繋がっていくのかな。

という気持ちで、スローガン的に掲げることにした。福祉がゴールじゃなくて、違いをおもしろがれる、そんなゴールを目指していきたい。そのために、福祉を学んでいる。
そういう自分でありたいなと考えながら、日々を過ごす。
なんていえばいいんだろう、を繰り返しながら、
こういう自分の考えをしっかりと伝えられるようになりたい。
福祉の学部にいるけれど、ちょっと視点を変えて、いろんなものをおもしろがってみる。そこから福祉のことを考える。そこにあるのは、なんていえばいいんだろう。だけかもしれない。散らかってしまうかもしれない。そんな不安もある。
でも今はまず、ゆるくたのしくおもしろがってみることをする。そんな最中です。

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