309 コレクションの思い出

 振り返ってみると、小さい頃から今までに色々な物を集めました。どれもこれも、他人にとっては、あまり意味のない物ばかりだったように思えますが、もともとコレクションとはそんなものなのでしょうね。
 物を集める事は人間本来が持つ習性のようなところがあり、形あるもの、無いもの、人により様々です。物に執着するな、と主張する人でも、せっせと自分の専門に関する知識を集め、その道では一流となっていくのですから・・・・・。好きになれば、集めたくなるのが正直な気持ちでしょう。およそ、そのコレクションを見ると興味のない者にとっては、ビックリするような物ばかりです。
 私が過去において集めた物を思いつくまま列挙してみると、昆虫採集、チョコレートの空箱、長嶋選手に関する記事の切り抜き、使い古しのチビけた鉛筆、解き溜めた数学のノート、好きな歌手のレコード、名画のビデオテープ・・・・・・ちょっと数え上げただけでも十指に余ります。
 本の類は、意識しなくとも必然的に集まってきます。何かに興味を持つと、まず、それに関連した本を調べ、工夫するのが手順となっているからです。バレーボール、麻雀、将棋、旅・・・・・、その事に凝っていた時には、本棚にあふれていた関係書や雑誌も、旬が過ぎると、一部を除いて、いつの間にか消え去ってしまいました。
 小学校低学年の頃、夏休みの宿題がきっかけで昆虫採集に熱を上げたことがあります。採集したものをうまく標本にできず、そのうち熱も冷めてしまいましたが、心ときめいた思い出だけはしっかり留めてあります。採集に夢中になる余り、蜂の巣を踏んづけてしまい、怒った蜂の襲撃を受けて数カ所刺された時の燃えるような痛さは忘れがたく、今でも夢に見ることがあります。私にとって、オニヤンマとアオスジアゲハは、憧れの的でした。すばしこくて、小学生の私では捕虫網のスピードが追いつきません。それを初めて捕まえた時の胸の高鳴りは、心臓の音が聞こえるくらい興奮したものです。感激するとは、こんな気持ちになるものか、という初体験でもありました。オニヤンマの習性を利用して、池の畔で待ち受け、一日で一〇数匹捕らえた時は子供ながらにも誇らしく、それを糸に数珠繋ぎにして見せびらかしたこともありました。また、アオスジアゲハの好きな花も知り、そこに止まっている蝶を容易く捕らえるという知恵も付きました。多くのことを学んだ昆虫採集だったと思います。
 長嶋茂雄がプロ入りしたのは、たしか私が小学校六年の頃だったと思います。デビュー以来、長嶋選手のプレーの虜になり、その一挙手一投足に一喜一憂しました。部屋の壁には長嶋選手に関する記事や写真が隙間無く張りめぐらされ、日々、それらに埋もれて寝起きしていました。私たちの世代の人には同じような経験を持つ人が結構多いのではないでしょうか。
 高校の頃から数学にはまりました。考え続けた問題が解けた喜びは、昆虫採集で目的の蝶を捕らえた感激に似ていました。問題を解いたノートが増えるにつれ、短くなって書けなくなった鉛筆が急激に増えていきました。高校三年の頃ともなると本棚の空間はノートで埋め尽くされるに伴って、鉛筆削りでこれ以上削れなくなった鉛筆が箱いっぱい溜まりました。私とともに考えてくれたチビけた鉛筆を捨てることが出来ず、箱に入れていたものが増えて入れ物から溢れて来る程でした。そんな鉛筆の一本一本が愛おしく、かけがえのない宝物となりました。それらが今の私をつくってくれたと言っても過言ではありません。引っ越しを重ねるうちに無くしてしまったのが何より残念です。
 思い出に残る断片を、時により、折に触れて書きためた随筆がいつしか一冊の本を作れるほどに増え、それを構成して随筆集「心つくして」を出版しました。形有るものにまとめられた嬉しさと確かな手応えは格別でした。
 定年退職した今も収集癖は直りません。日々の生活シート、漢字や数学の演習ファイル、随筆原稿など、相も変わらず今も「見える形」にして残す工夫を重ねています。


【気付きと対策】

 ※ 自分の趣味や専門分野に関する資料や業績は、真剣に取り組ば必然的に増えてきます。それを分類・整理し、見える形にしましょう。

 ・ 興味を持った事に関するコレクションは、一生のうちに溜まる分量は驚くほど多く、それらを凝縮してファイリングし、自分の宝物を作ろう。

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