405 今なら、変えられる

 脳梗塞を発症してから、四年の月日が流れました。
 歩く事も儘ならない状態から、徐々に普通の歩きに近づきつつあります。ただ、見た目には発症以前の頃の歩きに戻って来てはいるものの、自由に振る舞うには程遠く、不規則な動きには付いて行けません。それに、少し歩き続けると左腰部に痛みと疲労感が伴います。 歯がゆい気持ちを抑えて、何食わぬ顔を装うのも一苦労です。
 一時は精神的にも他人に依存する気持ちが強くなり、何時しかそれが体質化している自分がありました。
 「何とかせねば」のせっぱ詰まった気持ちで、一万歩ウォークを自分に課したり、意識的に車で外出したり、こまめに買い物をするように努めていますが、気持ちの片隅には常に不安感が伴っています。
 弱気が昂じて介護保険の適用も考え、申請したのですが、日々一万歩も歩こうと頑張れる私には該当しないと見なされました。
 そんな気弱な私でしたが、白内障の手術が思わぬ立ち直りの切っ掛けを作ってくれたのです。
 見えるのです。くっきりと・・・・・。本を読んでも、テレビを観ても、車に乗っても、随筆を書いても、パソコンを操作するときも・・・・・。  
 突然、開けた視界が私の心をも明るく照らし出してくれました。急に元気が湧いてきて、今までのモヤモヤも吹き飛び、積極的な私が顔を出したのです。
 これまでの不安は、多分に視力の減退に伴うものでした。脳梗塞の所為ばかりにしていたのは大きな思い違いだったのです。
 これ以後、脳梗塞の後遺症を克服する意欲も湧いてきましたし、発症以後、滞り勝ちだった学習や運動、生活改善に対しても気持ちが前を向いて動き出しました。
 「今なら、変えられる」「今なら、間に合う」・・・・・。 たとえ時間が掛かろうとも、少々痛みが伴おうとも、自力で切り抜けられそうだという気持ちが満ちてきました。
 乗り遅れそうになっていた列車に飛び乗ったような気持ちです。
 改めて周りに目を向け、現実をありのまま直視することで、これからの在り方が朧気ながら浮かび上がってきました。
 加えて、脳梗塞の後遺症に対する考え方も一変しました。
 「完治しなくてもいい、少しでも以前の自分に近づく為のリハビリを、日々楽しみながらやり続けよう」と決断できたのです。
 他人には分からない痛みも、それがある限り努力も続けられるのだし、生きている実感を伴いながら後遺症とつきあえるとも言えるんじゃないか・・・・・と。
 落ち込んでいた自分は何だったのか、とも思えるような発想の転換でした。痛みを受け入れ、それに意義を見つけられた事を嬉しく思っています。
 「今なら、変われる」と言うことは「何時でも、変われる」ことを意味していたのです。


 【気付きと対策】

※ 「貧すれば鈍する」の言葉通り、弱気が弱気を呼ぶことはよくあります。

・ 弱気が間違った判断を誘発するのが一番恐れるところです。たゆまず改善を心掛けていると、思わぬ所から突破口が見つかるものです。 

・ 原因が年齢による時は、シフトダウンを図り、弱気に起因する時は、しばらく時間をおいて再考してみよう。

・ 最後は自分を信じるより外に手はありません。

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