308 教えるは健康への誘い

 定年退職後、個人指導による数学教室を開設して、今年で十年を越えました。職務を満了したら、一人ひとりの能力に応じた数学を教えようと計画していただけに、夢を実行に移せたことに満足しています。
 この十年間の経験を振り返って気付いたことがたくさんあります。その中の一つは、数学教室のあり方が直接私の体調に反映していると言うことです。気持ち良く教えられた時は私の体調も良く、気分的にも軽く感じられ、次の日に上手く繋がります。
 生徒は間違って当然なのですが、その間違い方があまりに不用意な時や、何回も繰り返す時はつい腹を立ててしまい、それが愚痴や叱責となって声に出てしまう事も度々ありました。生徒の間違いに出会った時、不機嫌になるのは、あまりに自分本位というものでしょう。自分の好きなことに取り組みながら気分を害することは、どう考えても健康に良くありません。
 叱られた生徒が元気なく帰った後は後味が悪く、私にも後悔の念が残り、モヤモヤした時間が続いて、寝付きも悪くなるのでした。 
 そんな時、ふと私の頭の中に浮かび上がったことがあります。
 逆に、この事をうまく活用すれば、数学を教えることが自分の健康に結びつけられるのではないか、数学を健康法として捕らえてみてはどうか。教えている時間すべてを健康増進の時間と見なしてみよう、と。
 定年後を生きるのに、数学を通して、孫のような年回りの子供達と付き合えるなんて幸せなことです。若者の「気」に触れられることは自分を若くしてくれる最高のアンチエイジングなのです。健康で若くいられる条件下にありながら、それを活用できていないなんて勿体ない事この上なしです。
 分からないことが分かった時、出来ないことが出来た時の嬉しさは人の心を晴れやかにします。その嬉しさが反映して私を健康にしてくれるのです。
 逆に、愚痴や叱責の声は毒となって自分に戻ってきます。あくまでも、穏やかで暖かい声が生徒の気持ちを明るくさせ、自分の気持ちをも潤すのです。
 間違いをうまく指摘し、やり直して解けるようになった時は、教える喜びを強く感じます。生徒の「なるほど」「あ、そうか」という言葉は耳に快く響きます。
 誰でも間違いを正しながら成長するものです。そのお手伝いができる状況にある私は何て幸せ者なのでしょう。生徒の間違いが元気の素になるのですから、自分の間違いや失敗にも寛容になれる気がします。
 数学を教えることと健康になることが結びつく時、これからの人生が開けてくるような気がしました。
 教えること、声を出すこと、動くことは人生における重要な項目です。軽やかに動き、明るい声を出し、何時までも仕事に携わることは、すべてを良い方向に導く一級の健康法です。数学を解くことは、脳の活性化に繋がり、いかに相手を分からせるか工夫を巡らすことは楽しいゲームにもなります。
 教え終わった後は、風呂にでも入りながら今日を反省し、より良い明日へつなげたいものです。
 難問解決の凄腕を持つのがプロではなく、その仕事を通じて人格が高まり、健康になり相手を満足させるのが教育のプロだと気付きました。

 【気付きと対策】

※ 気持ち良く教えることで、教師・生徒ともども楽しくなって、体調的にも好循環が生まれます。

・ 子供の若い「気」に触れることは最高のアンチエイジングです。
 
・ 成長に伴う「気」は、子供たちの分かる喜び・できる嬉しさで一層強くなります。

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