404 自分を生きる

 七〇歳を超えた時点で、改めて「自分を生きる」という言葉に意義を感じています。
 これまでの生き方と言えば、自分の実力をつける・社会に貢献する・自分の評価を高める・・・・・等、未熟な自分を成長させることに重点が置かれていました。
 周りを取り巻く環境の中で、少しでも自分をアピールし、認められようとする当時の姿勢を否定する気は毛頭ありません。
 しかし、その姿勢に無理があったり、自分と遊離していては、せっかくの努力も本物になりませんし、長続きしないと思えます。其処に違和感を覚えながらも、それが当然な事なのだから、と自分に言い聞かせて歩んできたところがあり、自己を犠牲にしてまでボランティアに専念しているような矛盾を感じていました。
 退職してから十年の歩みの中で遭遇した出来事から得た教訓は、つまるところ、「自分の事は自分にしか分からないし、自分を救うのは自分をおいて他にない」事を改めて思い知らされました。
 妻を亡くし、二人の娘も嫁いだ状況において、自分をしっかり持って生きないと、何もかもが成り立たなくなるのは当然の事です。
 どんなに苦しくても、どんなに寂しくても、自分の心にぶれない強さがないと納得した生き方は出来ないのです。
 他人からの援助を期待したところで、相手にも相手の立場と生活があり、自分が考えたような助けを得ようとすること自体に無理があるという事です。
 介護保険の適用や擁護施設への入所は、自分一人の力ではどうしようも無くなった時のものであって、予備的な努力に対しては何ら対応していないことに気付きました。私に関して言えば、これらは脳梗塞の後遺症から抜け出すための努力に対する援助にはなっていないのです。努力すればするほど、貴方はそれだけ努力できるんだから、援助の必要性は有りませんと解釈されます。もっと深刻で、身動き出来ないような人もたくさんいるのだから、頑張れる内はとにかく自分で頑張って下さいということなのです。
 努力することすら出来なくなったときの介護なんて、自分にとっては惨めに思えるばかりで、あまり有り難さを感じません。
 誰かに頼るにしても、頼り切らない姿勢が必要であり、必然的な帰結として「自分を生きる」という言葉に強く身体が反応したのです。
 そして、「老後は自分で責任を持って生きる」という時代に入ったと感じました。意識して自分で自分を支える必要性が高くなってきたのです。死ぬまで一人で頑張る覚悟を求められているし、そうする気持ちも固まってきました。
 脳梗塞の後遺症を嘆いている暇はないのです。それより、九〇歳になっても、自力で歩ける状態を目指してリハビリに専念し、基本的に一人で生き抜くことに目覚めた今の私です。
 このように、気持ちの持ち方についての方針が固まったからには、それを具体的に実現させる為の手法を出来るだけ数多く身に付ける必要があります。これから、そのための楽しい試行錯誤が始まるのです。
 客観的に見ても、死ぬまで自分で頑張れるなんて、とてもカッコ良いではありませんか。

 【気付きと対策】

 ※ 「高齢者の自立」が必要な時代に移行しているのが実感されます。

・ 働けるうちは働いて、年金だけに頼らない生活資金の確保を試みよう。

・ 医療制度に依存しなくても生きていけるように、「程よく、根気強く、養生する」姿勢が求められています。

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