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クラスという「場所」の役割 ー他を学ぶことによって、自を学ぶことができるー

これは外国人留学生のいる日本語学校のお話です。最近、明らかに留学生の日本語力が落ちてきました。語学学校なので小中学校とは少し様子が違いますが、考えさせられたお話を。

コロナ禍で当たり前になったオンライン授業。
どこでも授業を受けられるという便利な側面と、改めて考えさせられた「クラス」という場所の役割。

なぜ留学生の日本語力が落ちたのか、考えてみました。

考えられる理由
・先輩と触れ合う機会がない
・自分と違う長所を持つ人に会えない
・人と接する機会が激減している

1,先輩と触れ合う機会がない

これまで学校には、自分の先輩に当たる人が必ずいました。コロナ禍以前の学校では、よく、通りがかった先輩に通訳をお願いしていました。

「先輩たちはこれだけできるよ。あなたも早く先輩に追いついてね」というメッセージを込めているのです。

そして、先輩たちがどのように振る舞っているのか、先生たちとどんな関係性を築いているのか見てもらいたい。

そんな気持ちを込めています。

見本となる人々に触れられないのは、持てる物差しの数が減ることのように感じます。

2,自分と違う長所を持つ人に会えない

クラスとなれば20人(日本語学校の人数は20人と決められています)、自分と違う個性を持った学生が集まります。

オンラインで授業を受けるだけでは、各自の個性が見えにくくなります。直接会うのとは違い、グループ活動は各自のネット環境も相まってコミュニケーションをスムーズに取りづらいし、個性を発揮しにくい。

休憩中や授業前後の雑談は生まれません。互いが何を好きなのか、何に興味があるのか、どんな飲み物が好きなのか。

自分とちがう感覚を持っている人が周りにたくさんいると、気づきにくいのです。

3,人と接する機会が激減している

外国語を学ぶことは、ただの記号としての言葉ではなく、その言語背景にある文化を学ぶこと。だから、礼儀作法や所作も大事な学びです。

語学学校はもちろん、語学を勉強するための場所ではあるけれど、それだけを勉強するのではありません。

ちょっとした挨拶。通りすがりの先生とのコミュニケーション。何かをお願いするときの礼儀作法。人と接して身をもって学ぶ方が、ただ単語や文法を学ぶよりも多くの学びがあります。

言語の背景には、色濃くその国の文化が映しだされ、ちょっとしたコミュニケーションにも文化は滲み出ています。そして、外国文化を知ることによって、自国の文化に気づくことができます。

今の留学生たちは、日本にいるにも関わらず日本人と接する機会が激減しています。インターネットやオンラインビジネスの普及で、日本語を使う機会が減っていると感じているところに、コロナ禍でより顕著となりました。


他を学ぶことによって、自を学ぶことができる

どんどん自分の行動する世界が狭くなり、考え方が狭くなり、私はできる人間である、私の考え方は正しい、と固執する学生が増えてきたと感じます。

他人と、ちがう国の人間と、ちがう世代の人間と、ちがう考え方を持つ人間と、ちがう長所を持つ人間と、接することの大事さをひしひしと感じます。

いろんな人と触れ合い、今まで知っていた世界より、もっと世界は広いんだよって。

自分とは違う、自分の知らない素敵なことがこんなにたくさんあるんだよって。

外を知って、自分を見つめ直して、成長できる。

そんな広い世界の入り口、それが「クラス」の役割だと思います。

インターネット、SNSの普及、さらなるコロナ禍で、内にこもりがちな自分にも戒めとして。

他を学び、自を学べ。

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