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進学先選びで自分の世界があらぬ方向に広がった話

はじめに

こんにちは。
今回は、POOLO JOB課題記事として、人生を変えたものについて、述べていく。

私の人生は、まだ30年にも満たない、日本国民全体で見れば年上の人の方が圧倒的に多いであろう年齢である。学生時代や社会人になってから。いつか、人生を変えたタイミングはあっただろうかと考えたとき。

私の中で思い描かれたのは、進学先の選択だった。

かつてはド文系の人間だった

突然だが、私の幼少期の話をしよう。

これは私だけではないと思うが、子供のころから、何回も聞かれたことの一つに、「将来の夢」がある。

私の幼稚園の卒園アルバムの作成時にも聞かれていて、その時非常に困ったことを今でも覚えている。将来のことなんて分からないと思ったからである。
(当時、子供あるあるだと思うが、子供は子供のまま生まれ、子供のまま死ぬと思っていたところもあると思う)

将来の夢を語れない子供だった私だが、好きなものはあった。

「読書」である。

今でこそ旅好きだが、そのきっかけをくれたのも、本であった。漫画も小説も、絵本も好きだった。小学生の頃、進研ゼミのポイントを貯めるとプレゼントをもらえるシステムで、漫画家キットを手にしたとき、どんなお話を自分は作れるだろうとワクワクしたことを覚えている。

しかし、親からの了承が得られなかった。
小学生低学年にして、自分のやりたいことはお蔵入りになった。
私は絵がうまくないので、今では仕方なかったなとも思う。

小説を書きたいと思ったときも、私の夢はお蔵入りになった。

他にも好きなものは、どちらかというと文系のものが多かった。
歴史や遺跡、海外の文化。そういった文系の勉強をしてみたいと思っていた。

それも自分の思い描いたレールの話をする前に、文系なのに理系に入った父という、他人のレールの話を聞かされた。
今の私が思うに、そんなことは知ったこっちゃないである。しかし、応援してもらえないことが怖かった私は、それを真正面から受け止めていた。だから、理系に行かないといけないような、そんな気もしていた。

あまりにもしょうもない高校選択の話

私の高校受験は、出身の宮城県仙台市の話になる。何校かオープンスクールに参加して、わからないことも多いなりに、自分が最も気になる学校ができた。中3初期の模試の判定は、たしかCもしくはB判定だったと思う。

中学時代の部活の外部コーチに、「お前なら行けるから、もうちょっといつもよりテスト頑張ってみろ」と言われて、シンプルに勉強時間を増やした。イマドキとは違う時代で、携帯も持っていなかったし、時間を増やすことは難しくなかった。

学内の成績が上がり、判定も無事にAが出た。しかし、倍率が高くなった。
そんなに人気の学校ではないので、そこそこの倍率だったと思う。それでも、もっと低い数字を見ていた私は、怖くなった。

受からなかったら、どうしよう。
そんな時にならんでいた、もう一つの学科が目に入った。

「理数科」である。

定員割れをしている。ここだ、と思った。
普通科は、高校に入学してから文理選択をするが、理数科は、入学した時点で理系が確定している(文転という選択肢ももちろんある)。

絶対に受かりたい私は、理数科で願書を出すことを決めた。

何故こんなにも受かりたかったかというと、すべり止めの私立高校の制服が激ダサだったからである(こんなことを言っているが、母の母校でもある)。

結局、最終倍率は理数科の方が高くなり、自宅で嘘でしょ!?と頭を抱えた経験もあったが、無事に第一志望に合格した。晴れて理系の道を進むことになった私である。

高校入学から現在まで

高校に入学してから、文系一色の私の学ぶことはがらりと変わった。ゆとり世代とはいえ、理数科選択のため、物理も化学も生物もしっかり勉強しないといけなかった。

生物で経験した、鶏の脳の解剖と豚の目玉の解剖の経験は、死ぬまで忘れないだろうなと今でも思う(どこまで外部に言っていいのか分からないことも多々ある)。

化学では、薬品を適当に使う私を見て、ぞっとした化学の先生に悲鳴を挙げさせてしまったこともある。

物理でも、人生で初めての赤点をとった。

そんな私は大学では、ゆるめの工学部に入った。
そして、なんと今も理系の仕事をしている。
私の職種の中では、文系に近い部分もあるが、一応まだ理系の肩書を続けている。

お蔵入り連続時代の私が聞いたら、びっくりするだろうなと思う。
そして幼稚園時代の私よ、本当に将来のことは分からないが最適解だったよとも思う。

今でも本や書くことは好きだし、親に否定された反骨精神で絶対やめてやるもんかという強い気概で、趣味の一環で文を書き続けている。
そして、やはり仕事にもしたいなという気持ちも捨てきれず、現在勉強をしているところでもある。

案外、紆余曲折しても自分のやりたいことは続けられるし、知らない世界を見ることは間違いなく私の感性に影響を与えた。友人や先輩、後輩にも恵まれたことの方が多い気がする。

今その時に戻れるなら、理数科を選択する?と聞かれれば、きっとそうだろうな、とも思う(文転したいとは言い出すかもしれない)。

結局何を選択したって私は私なのだ。
やりたいことは変わらない。

まとめ

あまりにもしょうもない理由で、昔から興味のあった文系科目をアカデミックに学ぶことを手放した私である。しかしこの経験から、自身の選択をいいものにするのも悪いものにするのも、きっと自分次第だと思った。

IFの世界線の話をしだすと、キリがなくなる。
それでもあそこで書くことをやめていたら、親のことを心底恨んでいただろうとも思うし、文系を選択していたらこんな面白い理数科の友人たちや大学時代の友人たちと出会えなかったろうとも思う。

文系も理系も諦めなかった私だから出会えた人、世界がある。
それだけは確かなことだ。

ちょっと回り道をしても、やりたいことをやり始めるのに遅いことはないし、それが自分を幸せにしてくれると今の私は実感している。

結局、何を選択しても、今の私もこれからの私も、作っていくのは今の自分であり、これからの自分で、まだ変えることはできる。良し悪しを決めるのは、あがいてからでも遅くはないのである。

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