#1 『フェルマーの最終定理』 著:サイモン・シン

どうも、こんばんわ。ヤマダです。
教師の本棚ってコンセプトで、「最近読んだ本晒します」という内容で始めましたが・・・需要は、ないだろうね・・・。確実に。

例えば、中身が超絶かわいい20代現役女性教員とかだったら、みんな読むよね。・・・俺も読むもん。
でも、実際は、「30代のおっさん教員。ブログを始める」っていうのが現実。誰が読むの?じゃあ、なんで始めたのかって?
本当にわずかながらの文才に希望を託し、30代までの本を出したいという夢をかなえるために始めたのさ。

いつか本を出したい!しんな漠然とした思いに取りつかれ、早20年。あの日の夢は今も僕の中にくすぶっている。

で、今回読んだ「フェルマーの最終定理」もそんな夢にまつわるお話。
ところで皆さんフェルマーの最終定理って知ってます?
ボクハシッテタヨ。マガリナリニモキョウシダカラネ(震)
まあ、名前くらいは知っていたんですが、

フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり、: Fermat's Last Theorem)とは、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理である[注釈 1]
フェルマーの大定理とも呼ばれる。ピエール・ド・フェルマーが「驚くべき証明を得た」と書き残したと伝えられ、長らく証明も反証もなされなかったことからフェルマー予想とも称されたが、フェルマーの死後330年経った1995年アンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、ワイルズの定理またはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれるようになった[1]

Wikipedia

という定理です。この330年間証明されなかったこの定理をアンドリューワイルズが、証明するまでのストーリーを描いたのがこの一冊。

なんか数学的知識が必要そうで、難しそう。そう思ったあなた!
そんなあなたにこそ読んでほしい。
そう。この本、数学的な話は出てくるものの、正直、話の中心は、そこに至るまでの数学者たちの熱い物語にあるので、正直、理論的なところはすっ飛ばして読んでも、おもしろい!
数学的素養がほぼゼロの私が言うんだから間違いない。

このストーリー簡単に説明すると・・・・ワンピース・・・・かな?

フェルマー「この証明か? 欲しけりゃくれてやるぜ…探してみろ この世の全てをそこに置いてきた」
数学者たち「!?」
世は大数学者時代!!
ワイルズ「数学王に、おれはなる!」

と、冗談は置いておいて。
でも実際こんな感じなのよ。ワイルズが証明するまでの、他の数学者たちのヒストリーも胸熱なのよ。
女だてらに、数学!?なんて時代に、身分を隠して数学者たちと交流しながら、真理を探究する人が出てきたり、
自殺を考えていたんだけど、最後にこのフェルマーの定理に関わる数学者の論証についての考察を考えていたら、重大なことに気づいて、自殺を取りやめて、定理の証明に懸賞金をかけたり、
日本の天才数学者が作り上げた志村=谷山予想という予想とこの定理が結びついたり、
ワイルズが、苦悩しながら作り上げた武器を捨て、新たな武器で証明に立ち向かうんだけど、最後の最後で武器が折れて、終わりかと思ったときに、捨てたはずの最初の武器が光りはじめる…とか

もう、最後の最後は何かいているかわからんけど、実際この通りなのよ。
胸熱でしょ。

でも、結局この本を読んでみて思うのって、学ぶことって偉大だなって…。
数学ってさ、結局概念上の知識を積み重ねていく学問じゃん。
場合によっちゃ、それが現実の何の役に立つかもわからないまま数理の面白さを探究していく場合だってあるわけじゃん。
僕にはできない。
そして何より、数学が好きな人たちの『美』ってやっぱり理解できないのよ。これは僕が数学苦手だからってのもあると思うんだけど。
その理解できない価値観だからこそ、それってすげえなって思うわけですよ。この本の中にも出てきたけど、数学上の美を求めて探求し続けていく。
その美って頭の中にしかないけど、その美を確かに積み重ねた上に築き上げてるわけですよね。
すげーなーって。
でも、その美を感じる感性があるのって学び続けたからだよね。
人の内側にある価値観を磨き続けて、可能性を開花させるっていうのが学ぶっていうことなんだよなと改めて思う。
そして、何より、教師の役割ってその磨き続けるだけの価値を感じるものに学び手を出会わせられるかどうかだよね。

え、ヤマダはどうかって?
そりゃ・・・もう・・・。
とまあ、今日はこの辺にして。

また、次の本を読んだら会いましょう!

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