遊び心をどのように扱っていくか

遊び心があると自負している。

単純に、ふざけたいわけではない。

遊び心とは、「まじめ一方でなく、ゆとりやしゃれ気のある気持ち」と大辞林にある。

私には、きっと遊び心が強くある。


ところが、どうだろう。


いざ、仕事となるとクソ真面目と不真面目を行ったり来たりすることしかできていない。

理由は、簡単だ。

遊び心を封じ込めることで、「怒られない」ことを保ってきたから。


幸い、今の職場は、自分が自分でいることを全面的に受け入れてくれる場所である。

とはいえ、社会経験の乏しい自分にとっては、社内こそ安全であれど、社外は常に危険だった。

私は、29歳までフリーターバンドマンだった。スーツを着たサラリーマンの方々とコミュニケーションする機会がまったくと言っていいほどなかった。

何が失礼に値するのか、何が好ましいのか、自分で判断がつかなかったのだ。

どこに地雷があるか分からない気持ちで4年走り続け、最近になって、ようやく社会という場所が見えてきた。
(怒られるゾーンが大体分かってきた)

ある程度の状況はつかめてきたので、そろそろ本当の自分を取り戻していきたいと思っている。

もちろん、「自分」なんてものは書き換え可能で、日々変わってゆく。

それでも変わらないもの、スーツを着ているとき封じ込めてしまっていたもの。
そういうものを、解放しても良い時期に来ていると思う。

それは、何か。

遊び心である。


通常、まともな人なら、真面目さの中に遊び心をほんのり匂わせるような出し方をすることが多いように思う。

しかし、残念ながら、私は(キャリアを考えれば一目瞭然なように)通常でもなければ、まともでもない。

むしろ、統計的に見れば頭がおかしい部類に入るだろう。

遊び心を中心としながら、まともさをほんのり匂わせるような出し方をしていきたい。

そんな大人で、私はありたい。

そのスタイルで、学生時代は散々教員の皆さんに力でねじ伏せられてきた。

大人になった今、どうだろう。試してみたい。



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