見出し画像

好きなことを表現するのに遠慮はいらない

イベントの企画で自己紹介をしましょう、という回を終えて思ったのは、「好きなことを表現するのに遠慮はいらないな」でした。

【好きになる理由】
私が何かしらの作品を好きだなと自覚するのは、その技巧に惚れるのでなく、世界観やビジュアル、作者さまとの価値観が合う、などのポイントがほとんど。

ここでいうビジュアルは、しつこいようですが絵が上手い、文章が秀逸など技術面から捉えるものでなく、笑顔がいいとか色使いが好み、この文章表現沁みるな、など、個人的にグッとくるポイントを持ち合わせているという意味です。

逆を言うと、これは前にもつぶやいたかもしれませんが、流行りや映え方を大事にし、万人受けすることを主目的とした作品は不思議と手に取る意欲がわかないのです。個性を見せてほしいって思うからです。
その作者が本当に伝えたいものが、掴みにくいからです。

【遠慮はいらないと思った理由】
その点、一次創作は特異なのかもしれません。自由度の高い印象があります。自由度の高さが扱うテーマに現れることはもちろんのこと、原動力もそうであると強く感じました。

一次創作自体が楽しいから。このテーマにときめくから。自分のキャラクターが好きだから。自己表現の一つとして。

企画の自己紹介の回では、全ての投稿に目を通させてもらいました。どんなことをしている人が参加していて、どんなところに好きのツボを見出しているのか、とても興味があったからです。

結果、冒頭で述べたとおりの感想を抱きました。
みなさまが好きを貫いている作品を楽しませてもらえましたし、そうやって貫いている姿がかっこいいなって。
ご本人がどう自己評価されるかはわかりませんが、私の目にはそう写りました。

少し掘り下げますね。違和感ありましたら読み飛ばしてください。
一般的には、より具体的に言うならこの国の学校という環境を通ってきている人は、「何事もより上手にできる人が褒められる」とか、「よくできる人が受け入れられる」、「間違ってはいけない」という感覚が、根付いているのではないかと思っていて。その逆も然りです。減点方式が上手なんですよね。相対評価を受けているならなおのこと。

話を戻して。
はたから見たらすごいことでも、当人にとってはまだまだ納得がいかない状況って、往々にしてあると感じるのです。
一次創作においては、この世界では、それが薄まっていったらいいなと期待しています。

あなたが思う「好き」や「楽しい」に間違いなんてない。
この先で上達していくこともあるかもしれないけれど、今現在のその姿が、その作品が、十分魅力的。
個性を解放しても悪いことなんて起きないから大丈夫。何か言ってくる人がいても、それは価値観が合わなかっただけのこと。ごきげんようでお暇しましょう。

「好き」や「楽しい」の気持ちが人を繋ぎ、安心感とワクワク、そして笑顔が広がるようなお付き合いが、どんどん広まりますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?