捨てること、忘れないこと

札幌の実家の僕の部屋には、壁一面にポスターやチラシが貼りめぐらされている。部屋の大掃除で大量にものを捨てたあと、それを一度ぜんぶはがした。バンドをはじめてから22歳頃までの憧れと出会いと足跡であり懐かしさと恥ずかしさと誇りでもある。札幌を出たあの日からまる二年、僕はもうすぐ25歳になる。好きなものがさらに好きになった。好きなものが、好きだったものになった。

証って、物体じゃなく記憶かな。と最近よく思う。
(忘れられないことだけ この胸に抱けばじゅうぶんさ と歌う歌も去年できた。)

家から家に移るときに、たくさんのものを捨てた。僕は使えそうなものはなんでもとっておいてしまうし、思い入れのあるものはとても捨てられないタイプの人間なのに。捨てられるようになった。といっても、やっぱり捨てられないものがずいぶんあり、箱の奥にしまいこんだれど。

その話を友達にすると、実家はタイムカプセルだよなと言っていた。まさに。懐かしくてたまらない写真、文集、手紙、きりがなく発掘されていく。

懐かしいアイテムを見たとき、その頃の気持ちがフラッシュバックするたまらない瞬間が僕は好きだし、それは人生で大切なことのような気もする。だけど、ほとんどの種類の気持ちは薄れていくし部屋に何年も貼ってあるものには見慣れてしまう。アルバムを捨てても、写真をゴミ箱にいれても、景色もにおいも音もよみがえる。ずっと薄れない気持ちこそがものすごく純度が高くて熱をもったものなんだと思う。

気がついたらものが増えて、過去のことばかり思い出して、どこにもいけないかもしれない。人によってはそれでもぐんぐん先へ進める人もいるだろうと思う。でも僕は、物を持ちすぎて散らかること、物理的に重たいことが嫌だなと思うようになった。身軽でいたい、まっさらな気持ちをいつも持っていたいと考えるようになった。

期待しても、壊れないように大切にしていても、くずれたり、なくなったり、途切れてしまうことがある。物心ついてからそういうことがとてもこわかった。だんだん、怖くなくなった。感じる心が鈍くなったわけじゃなくて、理解できるようになった。悲しくなるけど。

貼り直したポスターが、今はがれた。

なげくより、これからどうするかを考えるのは、たのしい。はじまるときや、変わるときは、大切ななにかが壊れてしまったときだった。いつも最後に残るのは自分自身だった。

2年ぴったり東京にいた僕は、札幌に帰ってきた。あまりこのことをわざわざ人に言うのは気がひけた。たいしたことじゃないから。再会するとき、がっかりさせはしないから。

https://youtu.be/KVPMNHDtNQA


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?