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12月

調子良く年を越すためには、部屋をちゃあんと片して生活を整えるのだ。今日は朝から30分10円のカラオケにいった。雨に濡れて帰り、めずらしく言葉もアイデアも湧いてきたから日が落ちるまでひたすらギターを弾いていた。ここ2年ぐらいは、頻度は低いけど突然2つ同時に歌が発生することが多い。今年の日々の流れを追ってみると意外にも心持ちの変化の波がいくつもあったみたいだ、思うことはいつだって悔しいぐらいにおんなじなのになあ。

今年の内なる面の大半。同じ事柄をずいぶんと考えこんでいた気がする。どうにもならないとしてもどうにもできないあふれる気持ちがあり、それは、ただただまっすぐ水平に伸びている。投げてしまったからにはもう曲がったりはしそうにない。完全に平行などうしなら交わることはない。どちらかが直線でなくなった場合は交わることはあるかもしれない。曲がったとして交わることはあるのだろうか。どちらかと言えば、もともと角度は開いていて、さらに時が流れるほどに少しずつ着実に遠のいてしまうのだろう。ずっとぼやけてよくわからなかったかなしみが、はっきり見えて今はそんなふうに理解ができる。それしかできなかったから、そうすべきだったということだ。考えるだけではなにもわからないことがだいたいだ。ひとりよがりではなにもわからない。感情や言葉をもって生まれたなら顔を合わせて話すしかない。そういう行為が僕は好きだ。

だとしても、なんだかんだで、僕の日々は続いてゆく。あらゆる要素において満足なんてまだまだずっと遠い果てだ。それはとても明るいことだと思う。コップの中が空になっても、ひとりきりでは水を汲もうともしない。なにもない日がとても苦手だ。僕は誰かとの約束で自分を保つ人間だ。結局のところ退屈なんだろう。もう少し自分で自分を楽しくさせてあげられるようにならないとね。

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