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7月3日未明

29歳になった。今、ものすごく軽やかだ。
僕は自分を保ちたい一心で同じところを何度も回っていた。酒に酔った帰りに懐かしいにおいに誘われてわざと遠回りするみたいに。実際にそうしてしまっていたんだし。でもその道がちがうって、ようやく理解できた。自分の傲慢さでしかなかった。必要ではない。悲しいことでも、残酷なことでもない。僕がまとっていた紺色のなにかは、ちゃんとはがれた。ものの見え方が変わった。僕のこの話につきあってくれた人、ありがとう。

もうひとつの出来事により、7月3日は僕にとってものすごく転機の日になった。呪縛がとけ、さらには素敵な青年と出会うことになる。
7月2日、仕事もあと一息というときに友人から連絡が入った。超絶うまいカレーをこれから作るから食べにきたらと。最近、引っ越しをした親しい友人ふたりの家は善福寺公園のそばにある。駅から遠いから正直めんどうだなとも思ったけど、僕はもう永遠のような寂しがりなのだ。仕事が終わったらレンタサイクルで猛暑の早稲田通りを西へぶっ飛ばした。最寄りのスーパーで買った酒も汗まみれだった。3人で近況なんかを話しながら具材に火が通るのを待った。もちろんロックンロールが部屋には鳴っていた。カレーは、美味しいに違いなかったけど僕にはあまりにも辛くて、辛さの向こうの旨味を感じることができなかった。でも、これ以外に僕にはもう悲しいことは起こらない。かもしれない。人が作った温かい食べ物で囲む四角いテーブル、僕には尊かった。酒も進み、僕の人生の相談が始まる。固執してしまうわけのひとつ、このとき初めて話したかもしれない。それを聞いて友人は言った。「今はもう、ちがうよ」。その言葉で、僕の呪いはとけた。それだけで、全部すっきりと腑に落ちてしまえた。酔いも回ってきて、煙草とライターだけ持って玄関の外へ出た。

日付はもう跨いでいただろうか。玄関の前では立ち止まらずに、そのまま歩いて公園にいこうぜとなった。異例の早さで梅雨が明けてから猛暑が続いていたけど、この時間はいつもより涼しく感じた。公園に入る直前、フォークギターに乗る声が聞こえた。なんとなく親しみやすさを感じて僕らはゆっくり近づいた。3曲目が終わったところで声をかけてみた。彼は歌声もそうだが、ものすごく優しい話し方で応じてくれた。瞬時にわかる人懐っこさと素直さ、彼の歌の話、好きな音楽の話、こんな真夜中にこんな興味深い人に会えたことに、素直に興奮した。彼は20歳で、長野からこの辺りに移り住んで間もないらしい。僕は図々しくも、自作の歌を歌わせてもらった。ギターの弾き心地と音の良さはまだ覚えてる。ポケットには本当に煙草とライターしかないので携帯や財布や酒すらもなかったけど、1時間以上そんな風にすごした。そのあと、ちゃんと酒も手に入れて明るくなるまで話をした。たぶんきっと、僕は彼とバンドをやる。そんな気がした。

転機が始まった朝、荻窪の四面道の朝焼けが、炸裂していた。お天気。

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