1月15日 0:58

(メモが残っていたので時間差で。たしか友人と中華料理を食べて帰ったときだ)


けっして孤独でなくやわらかに年が明けた。親しい友人と蕎麦を茹でてるうちに年が明けた。歌番組に飽きながら妙法寺へと歩いた。大晦日や三ヶ日に地元へ帰ったことは一度もない。理由は飛行機が高額だからだった。感染症の波もあり、季節に一度くらい帰っていた札幌とはすっかり距離ができてしまった。祖父母や実家の猫そして甥や姪たちに会いたい。いつも思い出す。ここところ気づいていた腰が重い本当の理由は、いいニュースがないからだった。

東京へやってきてからの年の越し方は毎年ちゃんと違うふうに記憶している。少しのやるせなさをかかえながら、新年を思う。それは2月の短さと花粉症の始まりくらいで薄れていったりするが、今年はずいぶんたくましそうだ。数年分のやりたいことがいよいよ形になる確信がある。前の仕事をやめてからずっと、ずっといいい。

数日前に兄と電話で話した。地元にいる家族たちの近況が聞きたくて。そういった話を聞くほどに僕はそろそろ顔を出さないとなと思う。だけど僕はどんな顔をして帰ればいいのか、年々わからなくなってきている。僕自身のことはやっぱりまるで話すようなことがない。僕は自分ひとり生きていくことで精一杯だ。でも精一杯に、悔やむはずもなく、過ごしている。空港で選んだ退屈な東京土産をぶらさげながら、いちばんの土産はこの元気な姿だと言わんばかりに、ひさしぶりだねなんて笑ってごまかすのかなあ。どれほど勝手で家族不孝な姿だろうと自覚はしているが、べつに家族はそれを咎めはしないだろう。僕が30歳の年にわざわざこの方向を選んだことに後悔は微塵もない。家族のことを思うと断然後ろめたい気持ちになる。

たとえば、酔っぱらいの帰り道に僕が命を落としたとしたら。家族から見た僕の生き様はみすぼらしいものに見えるかもしれない。今日の帰り道それが気になった。僕は、とてもいい日々の中にいる。やりたいことをやっている。自慢したいくらいに周りの人たちに恵まれている。そして僕自身こそが今だけは死にたくないと生きていたいとつよく思うだろう。

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