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【詩】 加藤書店物語


 客のふたりも入ればいっぱいの加藤書店でバイトしていたのは何十年の昔。
 大学卒業し小さな会社に就職、一年経たずに辞めて無職。将来は漠然として見えず、真冬の北海道を旅して東京に帰り、さあこれから何をしていこうか決まらず決められず迷ってばかりの頃。
 国鉄四ツ谷駅前小さなビルの一階で引退秒読み白髪の店主とふたり、店番したり配達したりパチンコ店の景品雑誌入れ替えたり。
 パチンコ店の主任は文学好き。あの作家読んだか、あれはいいね。その人は知らんなあ今度読もう。チンじゃらチンじゃら玉の流れる騒音の中で話も楽しく流れていく。たまにはもっといい本もって来い。それじゃあこんどは気合いを入れて。
 バイトの給料は安い。魚肉ソーセージと玉ねぎをおかずに白飯詰めて、晴れた日には近くの公園、雨の日には雑居ビル屋上近くの階段、もそもそ食べる。
 加藤書店の書棚はごちゃごちゃ。新刊も、だいぶ昔の新刊も、なんでもかんでも詰め込み放題、いったいなにがどこにあるのやら。ひまなバイトは一念発起、書棚の総整理。習字に資格、星占いに手相に雑学、同じ本何冊も何十冊もダンボールにまとめて取り次ぎに返本。何日かして出版社の営業が慌ててやってくる。小さな書店だ、いつまでも置いておく余裕はない、バイトの強気に店主の苦笑い。
 種類著者別きれいに整理した一目瞭然の書棚に、しかし戸惑う常連客。雑然とした棚をぼんやりながめ、たまに面白い本を見つけるのがうれしかった。うろうろしているうちに自分のほしいものに気づくなんてこともある。そうなんだ、そういうこともあるんだ。
 そんなこんなで一年以上。だけど下宿の部屋代たまる一方、金にひかれて別の仕事に移る。何年かして四ツ谷駅前訪ねると、シャッター閉ざした加藤書店。
 あの店主がどうなったかは知らないが、近所のパチンコ店はチンじゃらチンじゃら、相変わらずの賑やかさ。

(『詩人会議』2020年3月号)

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