しば

山と詩とバイクと。昭和のじさま。

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最近の記事

【エッセイ】菅原克己を読む①

   ここにいくつかの      ……詩の組の若い友だちに              菅原克己 ここにいくつかの 小さい音がありましたら 祝福してください。 あの笛吹きのあとを こんなにぞろぞろついて行っては、 どうせ川か海にはまって溺れるのが 関の山ですが、 それでも、 自分の音にびっくりして 立ちどまる者がおりましたら 指を鳴らしてください。 世間ではかいのないことを けんめいにやっているそのことだけで 口笛を吹いてください。  菅原克己は新日本文学会が開いていた文学

    • 【エッセイ】上手宰を読む①

      上手宰を読むー「放火魔の実践論」  上手宰という詩人がいる。一九四八年に東京に生まれ、中学一年の頃から詩を書いている。高校生の時には学生新聞や受験雑誌への投稿を繰り返し、寺山修司や大岡信にその力を認められていた。哲学とキリスト教への関心が強く、詩にもその影響が見てとれる。今までに刊行した詩集は8冊。主な受賞歴は評論で詩人会議新人賞、詩集『星の火事』で壺井繁治賞、詩集『しおり紐のしまい方』で三好達治賞。この上手宰の詩はおもしろい。その比喩の巧みさはもちろんだが、その世界観なのだ

      • 【エッセイ】菅原克己雑感4

        詩のはじまりについて  菅原克己は、十七歳のころ、室生犀星の詩と出会ったことでその後の方向が決まったと、いくつかのエッセイに書き残している。  「昭和二年の秋だったと思う。ぼくは神田の古本屋で一冊の詩集を見つけた。室生犀星の『愛の詩集』である。」「何気なく手にとって開いてみたとたんに最初の詩から一つの衝撃をうけたような気持ちがしたのである。」(『遠い城』から引用。以下同)  「それまでにもいくつか詩は書いていたが、それは単に詩の形をつづった美文調のもので、金魚鉢の金魚をみて

        • 【エッセイ】 菅原克己雑感3

           1953年のビキニ事件に衝撃を受けた現代詩人会が、全国の詩人に呼びかけ『死の灰詩集』を刊行したのが1954年。これについて鮎川信夫が1955年5月に「『死の灰詩集』の本質」という批判的な論評をし、多くの詩人達を巻き込んだ論争が始まる。菅原克己も『現代詩』の編集部に依頼され、鮎川に対する批判を試みる。  菅原克己はその頃のことをこう振り返っている(『詩の鉛筆手帳』以下同)。 「戦後になって、社会的な昂奮がぼくをつつみ、『死の灰』といえば『死の灰』を、久保山愛吉氏の死といえば、

        【エッセイ】菅原克己を読む①

          【詩】 夏の日

          ふくらんだ風をうけて 里山の竹がゆっさりとゆれる 窓を開けた列車の脇を 自転車ひとつ 乾いた土を蹴っていった 『詩人会議』2023.7月号

          【詩】 夏の日

          【エッセイ】見ること、気づくこと

          灯台 灯台のあかりは 何かを照らそうとしているわけではない 暗い海の上に光が向けられていても 船を照らし出すことはない ひと晩中ともしているのは わたしはここにいるという訴えだ その光っているひとみは しかし 応えを見られない 気づいているよと 誰かが応えていても それを知ることはない それでも 灯台はひと晩中 あかりをともし続けている わたしはここにいる、と 夜明けの陽が届き ぬくもりを感じたとき ようやく安心して眼を閉じる たしかにわたしはここにいる、と  

          【エッセイ】見ること、気づくこと

          【詩】ふあんなくらげ

          何十年も前、ぼくは東京の片隅で誰知らずうごめくだけの濁ったくらげみたいなものだった。踏まれても踏んだことに誰も気づかぬ程度の存在に、憤りにらみつけたとしてもやはり誰も気づかぬまま勝負は始まる前に決まっている。わだかまる腹抱えたまま下宿三畳間の布団にもぐりこみ湿っぽい夜を耐える、そんな澱んだくらげだった。 胸満たしきれず、総武中央お茶の水駅裏路地にうろつきまわり、誰かを探し誰にも会えず、神田神保町交差点を突きあたり、書店ビルに行きあたり、エスカレーターかまわず階をへめぐり書棚

          【詩】ふあんなくらげ

          【詩】いつか帰る

          昭和と同い年が決まり文句だった父 平成の終わり近く 九十を目前に床から離れられなくなった 何度目かの、そして最後の入院 窓に夕陽の明るさ 命を繋ぐ管が、半透明の影を病床におとす わずかに口を開け眠る、薄い頬 帰れなくなった意識 家族が病室に集められ 胃ろうにしますか 約束の時間に遅れた医師が聞く 手術をすれば数週間は稼げるかもしれない でも、たぶんそこまで、もう体力がない どうしますか せかさないで 昭和とおんなじ二十歳のとき満州で敗戦 爆弾かかえて戦車に飛び込むは

          【詩】いつか帰る

          【詩】父よ

             1 老人病棟に飛び交う幼児語に いらだちながら まれに機嫌のいいとき 父はヒゲをそらせる 生気をなくした肌を走るカミソリ 小さなきっかけで薄く血がにじむ 簡単に削がれる薄紙に いのちの向こうが透けて見える    2 天気いいよ、と看護師が言う。 起き上がれない父に見えるのは窓だけ 青空ははるかに遠い 若いころに仰いだ満州の空ほどに    3 ざぶとん抱えて戦車の下に飛び込む ことの意味が 子どもにはわからなかった それが俺の人生だったとつぶやいた父の目に

          【詩】父よ

          【詩】つながる

          人はひとりだけでは孤独になれない この世界にほかの人がいなかったなら 孤独に気づくこともない 世界の実感は自然に生まれてはこない 感じ取れるその先にある何かを 見つけ出さなかったら 世界がここにあると知ることもない 誰かがいるから 誰かがいることを知っているから 人は孤独を感じる 何かがあるから 何かがあることを理解したから 人は自分を越えた世界を知る ひとりだけで生まれてくることもない ひとりだけで生きていくこともない ひとりだけの世界もない 人は切ないほどの孤独

          【詩】つながる

          【詩】灯台

          灯台のあかりは 何かを照らそうとしているわけではない 暗い海の上に光が向けられていても 船を照らし出すことはない ひと晩中ともしているのは わたしはここにいるという訴えだ その光っているひとみは しかし 応えを見られない 気づいているよと 誰かが応えていても それを知ることはない それでも 灯台はひと晩中 あかりをともし続けている わたしはここにいる、と 夜明けの陽が届き ぬくもりを感じたとき ようやく安心して眼を閉じる たしかにわたしはここにいる、と (『詩人会

          【詩】灯台

          【エッセイ】菅原克己雑感2「マクシム」

          【エッセイ】菅原克己雑感2 <マクシム、どうだ、  青空を見ようじゃねえか>  菅原克己の「マクシム」の一節だ。1969年に刊行された詩集『遠くと近くで』におさめられたこの詩を、菅原克己の代表作にあげる人も多い。  克己は昭和5年、豊島師範学校4年生19歳の時、仲間の退学に抗議してストライキを実施し逮捕、池袋署で4日間苛酷な取り調べを受けた。24歳の時には共産党の活動に加わり、また逮捕され数ヶ月の拘留を経験していた。    「むかし、ぼくは持っていた、   汚れたレインコ

          【エッセイ】菅原克己雑感2「マクシム」

          【詩】あの日の雨は

          不思議だな 思い浮かぶのは雨の駐車場だ ホームセンターのシャッター見つめて 寒さに身を縮めていた三月の駐車場だ コロナ騒ぎの始まった年 仕事休んで開店を待っていた トイレットペーパーの入荷予定は確実だ マスクもあるかもしれない 聞こえてくる話し声にちょっと期待する 時間が来てシャッターが開きかけ 途中で止まる 駐車場から駆け寄る人たち 開きかけで止まったそのシャッターに ふと、おまえの病院を思った たかだか数百メートルの向こう すぐそこにあるのだけれど 今日のマスクの

          【詩】あの日の雨は

          【詩】 夜は朝のために

          山かげに 海の底に 昼のこぼしていった光のかけら ひと晩かけて背かごにひろい集める つぎに生まれてくる朝のために

          【詩】 夜は朝のために

          【エッセイ】「ブラザ—軒」雑感

           演奏中に酔って寝てしまうなど、酒を中心に数々の逸話を持ち「酒仙歌手」とも呼ばれた高田渡は、山之口貘や金子光晴、黒田三郎などの現代詩人の詩をとりあげたことでも知られている。  「ブラザー軒」もその一つ。菅原克己の詩をもとにしたこの曲、小室等をして号泣したと言わせたり、南こうせつがカバーをしたり、というなかなかの名曲だ。  詩はご存じのように、「ぼく」が七夕の夜に洋食屋のブラザ—軒を訪れると、亡くなった父と妹がそこに現れるという内容だ。父と妹は幸せだったころのままの姿をしている

          【エッセイ】「ブラザ—軒」雑感

          【詩】 加藤書店物語

           客のふたりも入ればいっぱいの加藤書店でバイトしていたのは何十年の昔。  大学卒業し小さな会社に就職、一年経たずに辞めて無職。将来は漠然として見えず、真冬の北海道を旅して東京に帰り、さあこれから何をしていこうか決まらず決められず迷ってばかりの頃。  国鉄四ツ谷駅前小さなビルの一階で引退秒読み白髪の店主とふたり、店番したり配達したりパチンコ店の景品雑誌入れ替えたり。  パチンコ店の主任は文学好き。あの作家読んだか、あれはいいね。その人は知らんなあ今度読もう。チンじゃらチンじゃら

          【詩】 加藤書店物語