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心と向き合って運用する。

誰しもが日々忙しく生きている。仕事もプライベートも、自分なりにがんばっている。でも気づかぬうちに余裕はなくなり、知らぬ間にパンクする。慢性的な疲労でパフォーマンスが落ちたり、ガクッと身体が動かなくなったりする。

健康第一とよく言うけれど、実際には何をすればいいのだろう。運動?食事?もちろんそれも大事だけど、僕は心の運用にもっと目を向けるべきなのではないかの思う。

ストレス解消とはまた違う。一時的に一気に晴らすのではなく、ストレスを抱え込まないように日々の心の運用することだ。落合陽一さんは働き方に関して、残業フリーじゃなく、ストレスフリーな働き方が大事だと言っていた。それは働き方をストレスがたまらないように都度運用することを言っていると思っていて、発想はそれに結構近い。

僕の思う心の運用とは、一つは、無意味に余裕を削ってくるものは普段から徹底的に排除すること。もう一つは、自分が見てない景色を見る数分の時間を持つことである。

一つめで、すぐできるものはアプリの通知だ。

これは、なにかしようと思ったときに、「ねえねえ」と話しかけてくる人が数十人も常に身の回りにいるようなものだと思う。スマートフォンという、ちっちゃいものだから気づきにくいけれど、現実世界に置き換えたら、えらい状況だ。

だから僕は仕事で使うSlackとFacebookメッセンジャー、LINE以外の通知は全て切っている。アイコンの肩につく通知の数字も非表示にしている。アプリを自分から開かない限りは、うんともすんとも言わない。つまり勝手に話しかけてくるのが3人しかいないようにしている。これならコントロール範囲だし、家族や親友のようになれる。

二つめは、自分の世界が全てじゃないんだと思えるものを意識的に見るようにすると効果があると思う。

例えば僕がやっているのは、電車の中から外を眺めることだ。ぼーっとするのも悪くないけど、少し意識的に建物や看板に目を向けてみる

そうすると、あんな住宅街の中にホテルが建ってるんだ、とか、麻雀のお店がこんなところにあるんだ、とか、あのビルかっこいいな、とか、自分と関係ない人の営みが見えてくる。

余裕がないときは自分の世界に閉じこもりがちなので、外の世界に、特に赤の他人の世界に無理やり目を向けると少し晴れる。極端に言うと、宇宙から見たら自分も麻雀屋も米粒でしかない。そのくらいのものなのである。自分が宇宙ではない

スマホでニュースを読んだり、ツイッター見たりしても外の世界を見れるけど、だいたい背中が丸まったまま、下を見てるので、あんまり意味がないように思う。

余裕があるからそう考えられるんだ、という人もいるかもしれないけど、余裕は自分でつくらないと手に入らないと思う。自分の安らかな余裕を他人に作ってもらおうという方が無理があるのではないだろうか。

だからこそ、心は食事や運動の結果だけがもたらすものではなく、きちんと一つの要素として向き合って、ちゃんと運用して連れ添っていくものなのだと思う。

僕もまだまだ余裕のなさに囚われて、家族に迷惑をかけてしまうことも多いから、もっとキチンとメンテしないとなと思う毎日である。


こういう風に向き合ってるよ、対処してるよというのがあったら是非教えてくださいmm


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