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「分からない」ではなく「知りたい」と言う

ここがよく分からないな

これは広告会社で企画書を書きまくっていた頃、よく営業や先輩に言われていた言葉だ。ちょっと伝わりづらい言葉になっていたり、流れがおかしくなっていたり、確かに分かりづらくなっているなと思う箇所にその言葉が飛んでくる。

それから自分が少しずつ企画書をチェックする側に回っても、なんとなくその「分からない」という言葉を使っていた。

ただ最近、それがとても印象が悪い言葉遣いのような気がしてきた。

例えば、オンラインで企画書の指示をしようとコメントを書き溜めていたときのこと。気づけば10箇所くらい「〜〜が分かりにくい」「〜〜が分かりづらい」が並んでいた。

それだけで片付けるわけではなく、フォローで方向性もアドバイスも加えているのだが、さすがにこんなコメントをもらったら、僕ならやる気失せるなと思ったのだ。

そうして使い始めた言葉が「〜〜を知りたい」である。

分からないということは、「知りたいことがそこにない」という意味に変えられる。単に言葉がこなれてなくて分からないのであれば「このページで言いたいことをもっと明確に知りたい」だし、流れが悪いのであれば「全体として何を言いたいのか知りたい」だし、情報が足りてないなら「この情報をもっと知りたい」だ。

そうするだけで、否定から入ることなく、最初から積み上げ式のコメントにできる。その上で今のページが不要だったり、不適切だったりすることはあるだろうが、それは推敲の上での削除なので嫌な気持ちにはならない。

うん。「知りたい」、いいな。

ちょっとしたことだけれども、これは僕にとって大きな発見だ。

きっと企画書以外にもこういう言葉のマジックが活きてくるケースがあるはずだ。

周りを見ていても、人から慕われる人はそういう部分が自然とできている。しかも相手のみならず、自分に対しても言葉は返ってくるものだから、生活がもっと気持ちよく楽しくなってくるだろうなと思う。

たった一言の違いだけれども、それで変わる影響度を改めて気づけた今日この頃である。



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