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思っていない限り、言葉には出ない

いや、冗談だって。
いや、言葉の綾だよ。

たまに飛ぶ、笑えない話。それは冗談や言葉の綾として消化されることがほとんどだ。でも最近思うのは、案外それはあらぬ誤解ではない、ということだ。

言葉になるということは、意識的か無意識的かは関係なく、絶対どこかでそれを感じている。つまり、思ったことがない限り言葉には出てこないのだ。これは妻が僕にそう言って、よく喧嘩をしていた時期があったのだけれど、確かにそうだなと実感している。

特に危険なのは、ポロっと口から出た言葉だ。そこに無意識が流れ出る。

正直、気をつけようがないことではある。思うことを止めることはできないし、口に出る言葉を全て制御できるわけでもない。

できることは出てしまった時に、自分でその言葉を受け止められるか。無意識だった部分に、意識的になれるかだと思う。

「ああ、自分はいつもこう思っていたんだな。改めよう。」もしくは、「ああ、あの人はいつもそういうことを考えているんだな。じゃこうしてみよう」と今後の材料にできたらいい。

言葉は強烈だ。だからこそ、その力とその源にアンテナを張っていたいなと思う。

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