覚悟を決めること
覚悟じゃないかなぁ。
これは、今年の3月くらいに「装う」ってなんだと思う?と友人たちから聞かれて、ふと口から出てきた言葉だ。
この時はファッションだけでなく、人のアイデンティティだとか見た目に関した幅広い「装う」について話していた。その中で、僕は数多ある選択肢の中からこれが自分であると選び切ること、つまり「覚悟」こそが「装う」なのでは、と答えたのだった。
なぜこんなことを今思い出したかというと、最近、覚悟することは「装う」時のみならず、非常に大事だなと思ったからだ。
例えば、厳しい状況に立たたされたとき、未来に希望を託しながら、今を切り抜けたくなるときがある。
でもそんな姿勢をとるとき、闇雲に、
このままいけば大丈夫だろう
ここはなんとか切り抜けられそう!
無理だったら、その時に考えてみよう
と言うのではなく、本気で覚悟して、希望が崩れ落ちる可能性があることを認めた上でそう言わないといけないなと思う。
覚悟さえできていれば、無理だったり、切り抜けられなかったりしたときに、「来てしまったか…」と片膝を地面についたとしても、折れずにはいられる。 少し休めば起き上がれる。
ただ、そんな強くいられる人は少数だと思う。正直、僕もできてない。余裕で折れたまんまのときがある。
そこで思うのは、一人きりで覚悟する必要はないんじゃないか、ということだ。
そばにいる家族や友人、仕事場の人に不安や懸念を話して、覚悟することを手伝ってもらうのだ。もしくは近しい人が覚悟ができていなさそうな雰囲気があれば、話しかけて一緒になって覚悟を決めさせる。
責任転嫁しよう、と言ってるのではない。あくまで自分の中で覚悟するための手助けをしてもらう(もしくは、手助けする)だけだ。そうして、準備をするのだ。
今思えば、もっとちゃんと覚悟しておけば、覚悟させておけば、と悔やむことがいくつもある。
過ぎ去ったことは取り戻しようがない。けれども、これからならそれをすることができるし、まさに今折れているなら、手遅れになる前に誰かと改めて覚悟をすればいい。
周りにはきっと手を差し伸べてくれる人はたくさんいる。ふと顔を上げてみてほしい。独りじゃない。そう思うのだ。
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