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僕は流行というものに怯えていた。

僕は流行が苦手だ。

それは流行に便乗することがダサいと思っているからではなく、自分が好きなものをひっそりと囲っておきたいからでもない。

あるモノの魅力や価値にたくさんの人が気づき、そこに参加することはいいことだなと思う。なんにも悪いことではない。

それでも流行に対してなぜか苦手意識がある。自分も乗っかりたいという気持ちと同時に、強い強い抵抗感を覚えてしまう。

そいつのせいで、これまでも映画を何本も見逃してきたし、読みたいリストに書かれたままの本が何冊もある。

長年、自分でもよく分からなかった。あまのじゃくな人間なのかな、結局のところ流行に乗らないでカッコつけたいだけなのかな、と思っていた。

戦略やマーケティングに身を置くものとして、そのポジションと矛盾した感覚に自分は大丈夫なのかと思うことさえあった。


モヤモヤは晴れぬまま、苦手は"コミュニティ"というものに対してやってきた。

はあちゅうサロンや箕輪編集室などをはじめとして、コミュニティは流行の兆しがある。というか、既にある界隈ではブームになっているし、かくいう僕もコミュニティに所属している。

SUSONO(参照:公式ホームページ)とWasei Salon(参照:招待制オンラインサロン「Wasei Salon」を始めます。 )。それぞれ信念があり、同じ価値観を共有するメンバーで構成されていて、とてもとても大好きなコミュニティだ。

なのにも関わらず、"苦手"はやってきた。

でも、もう足を突っ込んでいるし、自分の好きなものだから、今度ばかりはこの感情に向き合わなければと思いながら日々を過ごす中で答えは突然やってきた。

それは副部長のサチコさん(@sachico)とラジオSUSONOの打ち合わせをしていた時。SUSONOには期限があり、2年で終わるというような話をしていた時だった。

2年で終わる。

ここだった。すごく寂しいと思ったのだ。

流行に抵抗があるのは、いつかそれが終わりを迎えてみんながそれを忘れる時が来るのでは、という恐れによるものだった。

僕は前職が広告代理店で打ち上げ花火で終わるキャンペーンが当たり前のように沢山あった。それだからかもしれない。長く続くことの難しさが肌感にあるからかもしれない。

好きなもの、愛すべきもの、それが一過性で終わってしまう。それが怖かったのだ。ようやく理由が分かった。でもそれさえ分かればもう大丈夫。


改めて価値あるものは流行という一時的な盛り上がりで終わってはならない。二次曲線でなくていい。一次曲線でいいから、しっかりと育てて定着させるべきだと思う。

だからこそ、例えば、SUSONOが2年で本当に終わりを迎えるとしても、その価値はそこで途絶えさせてはいけない。たった2年という短い時間で消費して終わってはいけない。

そこで繋がった関係性でも、そこで身につけた価値観でも、なんでもいいから自分が魅力に感じたことを次のコトやモノに繋がるように、バトンを渡さないといけない。

これはコミュニティに関わらず、あらゆるものに対してそうだ。そもそもブームは、沢山の人に認められるだけの十分な価値を持っている。

Twitterでも、ブログでも、仕事でも、暮らしでも、何か一つでも自分の人生の中に取り込んで繋げていくこと。それが流行に対する態度と受け取る側の任務なのではないかと思う。

流行に対する苦手は続くだろう。だけど、もう僕は怯えない。


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