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ターンAターンから馳せる想い(本サイトからの転載)

2018年5月16日、西城秀樹さんが逝去しました。
アタシは生まれてこのかた、一度も西城秀樹のファンだと思ったことはない。なのに、正直ものすごいショックを受けたわけでして。そのことが意外で意外で。

たしかにアタシの小学生の頃のヒーロー=西城秀樹だったことには違いない。特別ファンではないものの、ではかっこいいお兄さんは、となれば、何の躊躇もなく西城秀樹の名前を挙げた。だってホント、それくらいカッコ良かったんですよ。
とくに芸能人大運動会みたいな番組でね、リレーでごぼう抜きする西城秀樹のカッコ良さはハンパじゃなかった。そりゃ今考えればいろいろ忖度があったんだろうけど、脚の長さを活かした広いスライドで走る姿自体が文句なしにカッコ良かったわけで。
西城秀樹に限らず当時のアイドルはメチャクチャな衣装を着させられていたけど、沢田研二とは別ベクトルで何を着てもカッコ良かったのが西城秀樹で、ヤングマンの衣装とか、デザインはダサいはずなのに、今見ても何かカッコいい。つかもう単純に西城秀樹がカッコいいだけなんだけどさ。

西城秀樹はヒット曲も多いけど、それこそ「傷だらけのローラ」とか「ヤングマン」とか、「ハウスバーモントカレー」とか(←これ、笑うかもしれないけど、やっぱこれもヒット曲の範疇に入ると思う)。
しかしアタシの中で、西城秀樹で一曲となれば、何故か「ターンAターン」なんです。自分でも意外すぎるんだけど、西城秀樹の訃報を聞いてまず浮かんだのが「ターンAターン」だったのは紛れもない事実でして。
それにしても、この曲名を聴いてピンとくる人なんて、アニメ好き、いやアニメ好きというよりもガンダム好きしかあり得ないんだろうな。
と書くとわかると思うけど、「ターンAターン」は「ガンダム」シリーズの一本「∀ガンダム」の主題歌でした。もちろん「∀ガンダム」は「ターンエーガンダム」と読みます。

「∀ガンダム」の放送が始まったのは1999年らしい。ということはアタシが福岡に在住していた頃っつーことになるのか。
アタシはね、ガンダムにたいしてものすごい思い入れがある方ではありません。それでも「機動戦士ガンダム」、いわゆるファーストガンダムは全話繰り返し見たし、劇場版も3作とも映画館に観に行った。とくに3作目の「めぐりあい宇宙」は徹夜して並んだほどです。もちろん世代が世代ですから、ガンプラもアホほど作った。
ただしアタシが見たのは、あくまでファーストガンダムだけです。「Ζ」以降はまったく見ていない。理由は憶えてないけど、「Ζ」が始まったのが高2っつーいろいろ中途半端な時期だったのが大きいような。

さて、それからさらに15年近く経った頃です。
そういえばまた新しいガンダムをやるのか、え?久しぶりに富野由悠季が監督やるの?ふーん、と。
でもまあ、そういう情報を知ったのも何かの縁だと思ってね、とりあえず「∀ガンダム」を見始めた。
これは結局、2、3回で見るのを止めている。そこまで熱を込めて見始めたわけじゃなかったし、何か展開も妙に物静かだし、続けて見なきゃ!みたいな要素が薄かったというかね。
ま、ビデオに撮るまでもない=用事で外出したらハイそれまでョ、なわけで、何回か見逃すうちに、まあいいかと。
ただし、主題歌だけは異様にインパクトがあった。
もう声だけで「え?西城秀樹!?」ってのはわかったんだけど、オープニングのクレジットを見てぶったまげた。「作曲が小林亜星って!それ、まんま寺内貫太郎一家じゃん!!」と。

「寺内貫太郎一家」というドラマは久世光彦演出、向田邦子脚本によるテレビドラマ史に燦然と輝く名作です。(寺内貫太郎一家を含む久世光彦の話はココ)
主人公の石屋の大将(寺内貫太郎)が小林亜星、その息子の周平役が西城秀樹でして(ノベライズには「周平は西城秀樹に似ている」とあるらしいw)、まさか歌手と作曲家としてタッグを組むとは。んでよりにもよってガンダムの主題歌とは。
何しろアタシは早々にリタイアしたから歌詞全部を憶えてたわけじゃないんだけど、とにかくサビの「♪ タンエイタァ タンエイタァ タァンエ〜」ってのがメチャクチャインパクトが強くてね。
それ以来、ごくたまにとはいえ、うっかり「♪ タンエイタァ」なんて鼻唄で歌ったりなんかしてたくらいで。

しかしこの曲、だいぶ後年になってあらためてフルコーラスで聴いてみたんだけど、これはすごいわ。
作詞は富野由悠季(ただし変名)だし、アニメの内容に合わせて作っているわけで、「∀ガンダム」を見てないアタシにはわかりづらい。
ただメロディとアレンジの凄さはアニメを見てる見てない関係なくわかるわけで、小林亜星の巧みさは舌を巻く。
とにかく西城秀樹の魅力を全部手中に収めて、最大限魅力が発揮出来るように作ってある。
しかしドラマと舞台で共演しただけで、それまで一緒に楽曲制作をしたことないのに、ここまで歌手の個性を引き出せるってのは、やっぱ小林亜星って人が根っからの音楽家なんだろうね。つまり取っ組み合いの喧嘩シーンを演じながらも、どこか音楽家の目で西城秀樹を見ていたと。

西城秀樹も小林亜星の期待に応えるように、若干抑え気味にして、けど実に西城秀樹らしい歌唱に徹しているというか。
西城秀樹は特別上手いヴォーカリストではなかったけど、こんなに華を感じるヴォーカリストとか、他にいる?
ヴォーカルに必要なのは歌唱力ではない。華です。華ったって見た目とか全部抜いて、歌唱だけで聴いてる者に華を感じさせなきゃいけない。
でも西城秀樹は完璧に出来てるもん。グワッと引き込まれる何かが歌唱に入ってるっつーかさ。

それは誰でも持ち合わせていることじゃないんだよね。修練ともあんまり関係ないし。華があるったって大抵は見た目との合わせ技だろうし。
いや「華」なんて言うとかえってわざとらしいな。西城秀樹で言うならカッコ良さですよ。黙って立ってるだけでカッコいい、リレーで走ってもカッコいい、んで歌声だけでもカッコいい。こんな人、もう出てこないんだろうなぁと思う。

そして2021年5月30日、小林亜星が逝去しました。
小林亜星の追悼記事をいろいろ読みましたが、もっとも感動的だったのが、∀ガンダムの主題歌の依頼を受けたことに「これが最後のアニメソング」「最後なんだからどうしてもヒデキに歌ってもらいたい」という小林亜星の強い意向で「ターンAターン」が作られた、という記事です。

これも追悼記事からですが、小林亜星は常々西城秀樹のヴォーカリストとしての過小評価を嘆いていたらしいのですが、小林亜星ほど、本当の意味で何でも作れる=如何に音楽への造詣が深いというか創曲(作曲、とは言いたくない)の知識も実践力も高かった人が「ヒデキは本当は人々が考えるよりもすごいのに」と評価していたのは、ただたんに共演者、もしくは年の離れた友達としてではあり得ないと思うのです。

だからこそ、安易にコンビを組まなかったんだと思う。
自分とヒデキが組むのは、本当にここ一番、自分にとっても記念碑になるような作品だけ、しかもヒデキの良さを120%引き出して、自分と組むことでヒデキが損したなんてことになっちゃあ、絶対にいけないんだ。
そうした強すぎる<想い>があったから「ためらっていた」としか思えない。というかたぶん寺内貫太郎一家の頃からね、周りから「亜星さん、ヒデキへ曲を書かないんですか?」なんてことは散々言われてきたはずだもん。もちろん西城秀樹も「亜星さんに書いてもらえばいいのに」と言われてきたと思う。

ギリギリまで我慢して、本当に満を持して、それでつまんない楽曲になるなんて往々にしてあることだけど「ターンAターン」はそうなってないのがすごい。
小林亜星の120%のサウンドを西城秀樹が120%の力で応えた。これが名曲にならないわけがないと思うんです。

自分はオッサンだから嫌ってほどわかるけど、こういう関係って心底羨ましい。
亜星さんがいてくれて良かった
ヒデキがいてくれて良かった

お互いそう思え合える関係を構築するのがどれほど難しいことか。そして完璧なタッグによって生まれた楽曲がちゃんと残されているのは、いろんな意味て良かったと思うわけでして。

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今回実験として本サイトから転載してみましたが、如何でしたでしょうか。 
てなわけで本サイトの方もよろしくお願いします。