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私の光る君へ6

「二人の才女」
 全国何万人いるかよく知りませんが、あちこちにいるらしい(私のお仲間)源氏オタクの゙皆様、桃尻語訳枕草子に慣れ親しんだ皆様、〜みんなが待ってた瞬間かもしれません〜
 吉高式部と初夏納言の出会いです。
 まっ〜こんな感じ、と平常心。
 私としては後から、ウイカさんの「君かたり」を聞いて、監督から「もっと優しくと指示された」と聞き、大変安心いたしました。私は『枕草子』を清少納言のやさしさの、血を吐くような思いのプライドに裏打ちされた、日本文学史上屈指のやさしさの文学だと思っています。だから、清少納言のやさしさをわかって演出してくれる人と、わかろうと演じてくれる人が、このドラマに存在することに、とても安心しました。
 私は二人の存在をさておき、藤原為時より清原元輔の方が(周防国守とか実入りが良く、久闊の挨拶も余裕がある)衣装が良いので、二人の父と、二人の娘の、経済格差(若干の年齢差)があり、それが二人の出会いのボタンの掛け違いになって、後の紫式部の(千年のちまでも言われる書かなければよかった)清少納言評の一文になっちゃうんだな~と、微妙な演出を楽しみました。
 吉高まひろも頑張っています。今、生涯で最もたくさんの習い事をしていると聞きました。川端康成をはじめ世界中の文学者、日本文学研究者、の多くが、日本史上「最も聡明な女性」と賛を極めた、紫式部を大河で演じることは、大変な覚悟であろうと思います。
 吉高・まひろ、黒木・倫子、凰稀・赤染衛門先生、他(ゴメンナサイ)のサロンも相変わらず、勉強させてくれます。蜻蛉日記を寂しい怨念の書ではなく誇り高い自慢話、ひとり寝の歌は優れた(文学)作品でマトメてくれました。
 そうなんですね~蜻蛉日記も、枕草子も、その時代の複数の誰かが「優れた作品」と、思ったからこそ、千年を超えて残って伝わって、教科書になり、沢山の外国語に訳されて、日本のイメージを形づくっているのですね~
赤染衛門と紫式部の関係性も、年齢差が10歳以上あり、今後もサロン仲間というより先生的存在という解釈・演出も、源氏物語の執筆が始まったら、どういう関わりになるか、楽しみです。
 凰稀かなめという、宝塚男役トップだった人にこの役を当てた意味を深読みしたくなりました。大変な美人さんですが、カッコイイ男役姿も忘れ難く存じておりますので、衣冠束帯を着せたくてウズウズします。
 柄本・道長さんは、はまり役になるかもという予感のする、今回の立廻りぶりですね。ソコソコイケメン、それでいて父・兼家の言葉を受けた上で、兄・道兼に「我が家の泥を被っていただく」と言い、そのお返しに「我らが影は同じ方を見ている」といわれ、立ち止まる視線に、まひろの言葉がかぶり「道長様とは距離を置かなければ〜その為にはこの命に使命を与えなければ」と、書き留めたくなる台詞が続きました。
 まひろが街に出れば、(殿上人の平均値よりイケメンなのが、気になる毎熊克哉)直秀さんが「をかしきことこそめでたけれ」とまひろに諭します。彼の立ち位置が、道長に弓で射られてましたけど、どうなるのかしら〜
 今回は、(意外に)ワクワクする台詞がたくさんありました。
 道長からまひろにラブレターも届いて、次回に。
 今度こそ「花山天皇の退位」で、道兼さんが出ずっぱりの泥作業〜のはずが、次回の題は、「おかしきことこそ」ですね。
 演出家さんがとても繊細な仕事をしてらっしゃるらしいので、ずうっと我慢していた事を書きますね。秋山・実資は、どうしてあんなに黒いのでしょう。蹴鞠ばかりしている設定ではないはずなのに。せっかく髪を伸ばして、綺麗な衣冠束帯姿になるようにしているはずなのに、超上級貴族、血脈的には道長以上の血筋で、道長が生涯けむたくて、尚潰すこともしなかった、高貴な方が、あんなに黒いはずがない。秋山さんは、演出の指示も出せないような大物なんでしょうか。


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