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『 将来の目標は、自分のbarを持つこと 』

日々、店長としての業務をこなし、

スタッフに仕事を教えながら営業する。

その頃思ったのが

いづれ、近い将来 自分のお店を持とう

という、新たな目標ができた。

お店の営業も順調で、評判もかなり良かったと思う。

人気店での成功は、確実な自信へと繋がった。

少しづつ貯金をし、やっと三桁を越え

あと2年後くらいには、銀行の借り入れを合わせて

自分のBARを始めよう。そんなふうに考えていた。

そんなときに突然起こったのが

『 生還 』1998.3.12

の出来事である。

※ 何があったかは、↑の記事を読んでみてください。

この日をきっかけに、すべてが変わってしまった。

もちろん、奇跡的に生還したのだから

最悪の事態にはならずに済んだが

日常生活を送れるようになるまでに

けっこうな時間と、リハビリと、お金も使ってしまった。

また、一からの出直しである。


退院してからのことを書くと

日常生活に戻るためのリハビリは当然だが

新たな障害ができてしまった。

ICU 症候群である。


例えば家にいて、テレビドラマなどで医療現場のシーンを観たり

或いは、ICUのときのことを思い出したりすると

急に、心臓がバクバクして、全身から
汗が吹き出す…

このまま死んでしまうのでは、というパニック発作が起こるのだ。

結局、母にそれを打ち明けて

同じ、君津中央病院の精神科(心療内科)にも通院することとなった。

もちろん、呼吸器内科も同病院である。

先生曰く、ICUなどで生死をさまよったひとは

かなりな割合で、なるそうらしい。

つまり、亡くなってしまった場合は
もちろんそんな障害はないが

生き残ったひとは、精神的なダメージをすごく負っていて

心のケアもしてあげないといけないというわけだ。

主な処方薬は、抗不安薬、精神安定剤、眠剤、

抗うつ剤、頓服の発作時に飲む 即効生のある強い抗不安薬。

ソラナックス、デパス、パキシル、セルシンなどである。

身体は徐々に、日常を送れるようになっていったが

むしろ、精神疾患の方が辛い。

それでも、一日も早い現場復帰を望む僕は

退院から、二ヶ月で現場復帰を、少しづつするようになった。

お店は二階だったが、最初は階段を上るだけで

息がハァハァして、カウンターには1時間した立てなかった。

それでも、毎日、お店に顔を出すことが自分の
回復にも繋がると思ったのだ。

まだ、髪の毛が抜けたままだったので帽子を被った。

マスターも、スタッフも、僕のリハビリ出勤を温かく迎えてくれた。

今思うと、Le JAZZのバーカウンターの真ん中

つまり、僕がメインバーテンダーとして立つ場所

そこを無くすことが怖かったのかもしれない。

華麗なシェイキングも、優雅なステアも、

思うようには出来なくなっていたが

それでも僕は、"諦める"ことだけはなかった。

1998年、11月12日

僕は30歳になった。

そのときの喜びは、今でも忘れていない。

そして、少しづつ、少しずつではあるが

心も身体も、良くなっていった。

つづく

一昨年、葉山しおさい公園にて。


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