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『 卒業 』

冒頭に書いてしまうが、生涯の学校生活は

小・中・高・美容専門学校である。

その中でも、山野美容専門学校で過ごした一年は

最良の一年であり、充実し、とても華やいだものだった。

学校は一日も休まず、皆勤賞。(身体の弱い僕だが初めてだ)

山野流 着物着付け教室 奥伝免許取得

shima 入社決定。

この三つに関しては、誇れると言ってもいいだろう。

でも何より、恵まれたクラス、友達、先生、

山野美容専門学校という中での、すべての出来事が輝いていた。

地方の井の中の蛙でいるより、

日本一の学校で、結果を出すというのは本当に自信になる。

残りの、一ヶ月は、クラスの垣根を越えて

学校中のひとと、たくさんのコミニケーションをとった。

とくに、15、16、17組の実習チームは、

特別な結束のようなものまででき、

山野での、終わりを迎えようとしていた。

これからの就職、美容師、新しい人生の始まりに

少しだけの緊張と、それ以上の期待が高まった。

僕は、本気で、ananに載ろうと思っていた。

僕に限らずだが、有名美容室に就職決まった人たちは

少なからず、ある種の

「選ばれた人」という意識があり

周りも素直に、それを認めてくれた。

嫌がらせや、僻み、やっかみなど、まったくなかった。

卒業の一週間前に、生まれて初めて

スーツを買った。

卒業式用でもあり、入社式用でもある。

どこのブランドかは忘れてしまったが、
濃紺のシルエットが綺麗なスーツだった。

前日、ショーコたちと話し合って、

15組と、17組の仲良しチームは

卒業式で、先生から名前を呼ばれるとき

精一杯の、大声で「ハイ!」と

返事をしようという約束をした。

当日、山野ホールに入場すると、

1組から座っていくので、当然僕たちは

後ろの方だった。

山野愛子先生の挨拶があり、

その他、山野の主要な方々の話があり

最後は、1組から順々に

担任が名前を呼んでいった。

僕たちの番はかなり遅い方だが、

いよいよ、15組、華の15組といってもいいだろう。

益田先生は、いつもと変わらず

飛鳥さぁぁん、安西さぁぁん、
安藤さぁぁん、と呼んでいった。

いよいよ、僕の番になり

猪鼻さぁぁん、と呼ばれた瞬間

立ち上がって、精一杯の「ハイ!!」
を叫んだ!

周りからクスクス笑われたが、それを承知でやるのだから楽しかった。

ケイちゃんの「ハイ!」はかわいい感じのだったが、

ショーコの「ハイ!」は、ホール全体まで響き渡るすごい声だった。

その頃には、もう笑うひともいなかった。

教室に戻り、最後のホームルームがあった。

卒業アルバムをもらい、

そのあと、益田先生は、これだけは忘れないようにしてください。と言った。

「この学校で教わったことは、各お店に行ったら、すべて忘れてください。

そのお店で、新しく教わることがすべてです。

それからもうひとつ。

お店が合わないではなく、あなたが

お店に合わせるのです。

それを忘れないでください。」

みんな、黙って、益田先生の最後の話を聞いていた。

益田先生は、70歳を越える、一番高齢の先生だった。

腰も曲がり、ヨボヨボしていたが

他の先生からも、一目置かれていた。

生徒を厳しく叱ることは、一度もなく

いつも、温かく見守ってくれていた。

みんな、益田先生が大好きだった。

僕にとっても、恩師といえる存在だ。

最後の

起立、礼が終わり

先生のところに挨拶に行くと、

僕、窪内、小川の三人は、益田先生に

「あなたたちは、大勢の中から選ばれたひとたちなのよ。

嶋先生のところで、しっかりと活躍してくださいね。」と言った。

三人とも、泣きそうになっていた。

こうして

山野美容専門学校を卒業したのだった。

ありがとう!山野美容専門学校!

卒業式当日の写真。88年3月15日となっている。
山野美容専門学校 卒業アルバム 1988


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