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探偵file 002 大阪ディープ探訪② 西成釜ヶ崎〜あいりん地区

大阪ディープ探訪② 西成釜ヶ崎〜あいりん地区


日本三大ドヤ街の一つ、大阪府大阪市西成区にある釜ヶ崎、通称あいりん地区。西成区の中でもとくに治安が悪い危険地帯として有名ですが、西成区やあいりん地区の治安や危険度、危険だという噂の元凶や過去のやばい事件も含めて探訪しつつご紹介してみます。

さて、前回探訪しました天下茶屋の隣町、地下鉄の動物園前駅に移動して大阪ディープ探訪を続けます。

大阪府大阪市西成区は、大阪市にある24区のうちの一つで、日本一の高層ビル「あべのハルカス」や大阪のシンボル「通天閣」にも近く、区内には工場と住宅が混在する地域や、昭和レトロな情緒漂う下町。しかし、「西成」と聞いて、多くの人が最初に頭に思い描くのは、過去のやばい事件や危険人物の潜伏など、治安の悪さを象徴する事案ではないでしょうか。

さて、この土地の起源的なものを探っていきます。
少し離れますが、当時を偲ぶものとして残っている絵などを探すと「廣田神社」(浪速区広田町)が出てきます。
創建年不詳の神社ですが、西暦200年に出てくる「神功皇后」の名前が登場する由緒ある寺で「創建1800年前後もあり、住吉大社と同じくらいの歴史を持つ神社らしいです。

廣田神社は、今宮神社(大阪府大阪市浪速区恵美須西1丁目6−10)の北方約100メートルの地にあって、もと四天王寺の鎮守で今宮村の産土神である。創建年月は不詳であるが、江戸時代には境内も広田の杜といわれ欝蒼とした森で、頗る広く社地の西方に紅白二種の萩を植えその辺りには茶屋があり萩の茶屋と称した。当区の萩之茶屋にはその茶店の分店があったといわれる。

http://www.kamamat.org/nisinari-ku/meisyo-kyuseki/hirota-jinjya.html

摂津名所図会大成巻之八

近年境内に桜樹多く植て殊更に美景なり。又茶店には萩あまた有て中秋の花の盛りには貴賎うちむれて甚賑わし 今宮の萩とて年久しくこれを賞せり。且近年信心の願主等境内にあまた桜を寄付し植しより春は殊更美観なり
祭神 本社天照皇大神
末社 稲荷神社 宇賀御魂神
天王寺の鎮守で今宮村の産土神(うぶすながみ)
寛政8(1796)年~寛政10(1798)年に編集された「観光案内書」である「摂津名所図会(せっつめいしょずえ)」

この当時の「廣田神社」の様子を書いた「絵」が下の絵。

現在の萩之茶屋付近と「廣田神社」
当時の廣田神社

動物園前駅、萩之茶屋周辺は、江戸時代には紀州街道にあたる堺筋沿いに旅籠や木賃宿が立ち並んでいたらしく、大阪都市流入人口の一時的な滞留地に加えて、失業者の滞留地の性格も次第に帯びるようになり、大坂最大のスラム街が形成されるに至ったらしいです。

長屋建築規則

しかし、コレラが流行し、長町界隈に発病者が多く、衛生面の他に治安・都市計画の面においても長町裏スラムは問題視され、「長屋建築規則」という規則にもとづいて、長町の老朽化した不衛生な木賃宿などの家屋が取り払われ、貧民9126人が立ち退かされ、2410戸が取り壊しを受けるなど、行政によって介入がはじまった時期が明治初期とのことである。
明治時代の長屋規制法は下記。

通称、釜ヶ崎と呼ばれたこの周辺では1912年(明治45年)に新世界、1916年(大正5年)に「飛田遊廓」が誕生するなど次第に市街化して行き、大正時代には字としての地名である釜ヶ崎は消滅したが、以降も字釜ヶ崎であったこの地域の通称として使用されていた。

釜ヶ崎という字は1922年大正11年)に今宮町がそれまでの今宮・木津の2大字を新町名となる37大字に改編したことにより消滅したが、現在でも地域の通称として釜ヶ崎もしくは「釜」という略称で呼ばれることも多い。あいりん(愛隣)地区という呼称は、1966年昭和41年)5月に行政機関と報道機関における統一名称として誕生したもので、概ね釜ヶ崎の別称といってよい。

当地は、江戸時代に低湿地を干拓して誕生した。釜ヶ崎という名称の由来には、「津江の庄」次いで「今宮庄」と呼ばれた今宮村に面した「名呉の浜」・「那呉の浦」・「名呉の海」と呼ばれた入江が船の発着場になっており、その南側が釜ヶ崎と呼ばれたとするもの
藻塩を焼く塩焼き釜があったという説
岬の形がカマの形をしていたという説
といった説がある。
なお、他に「日雇労働者への配給食料を調理するために釜で炊き出しをすることから釜が崎と呼ばれた」とする説もあるが、これは俗説であり、釜ヶ崎の呼称は日雇労働者の寄り場がこの地区に形成される以前から存在する名称である。

出典:wikipedia

「萩ノ茶屋」「釜ヶ崎」「あいりん地区」

さて、治安が悪いことでは日本では指折りのこの地区が、あいりん地区と呼ばれ始めたのは、益々治安が悪化する1960年代に入ってから行政が明るい地域にしたいと、「愛の隣」と書いて「あいりん地区」と命名したそうです。
この「あいりん地区」とは、現在、西成区萩之茶屋・太子などに該当する。

あいりん地区という名称は、1966年5月に国や自治体などの行政機関と報道機関が使用の取り決めを行った名称である。よって地元に古くから住む人たちなどは、この名称をあまり使いたがらないといいます。

あいりん地区には路上生活者が多く居住している(大阪市内の路上生活者は、2021年1月頃の調査で確認されただけでも943人。この地域は住所不定の日雇労働者が多いため、人口統計は国勢調査でも明確に把握できていないといいます。

NPO団体や宗教団体などが炊き出しなどを頻繁に行っており、実施の際は公園に人が列を作って並ぶことがあるといい、メジャーリーガーのダルビッシュの実弟もワルビッシュと称してユーチューバーをしながら炊き出しをしていることは有名だ。また、この地域の物価は隣接している他地区と比べ、総じて低いのが特徴。自動販売機の価格が異常だ。

缶コーヒーは50円から

「かつてはたびたび暴動や泥酔者を狙った路上強盗があり治安が悪かったが、橋下徹(元)市長による西成特区構想で改革されて以降は、住みやすいと言えば住みやすくなった」という地元住民もいた。元日雇い労働者の多くが高齢化し住民の40%が高齢者であり、かつての労働者の街から福祉の街へと姿を変えている。

釜ヶ崎が日本最悪の治安と言われ続けたのは何故か

この地区の過去から現在まで、西成暴動など数々の事件が発生しています。同一の地域でこれほどたくさんの犯罪が起きるというのは、やはり一種異様といわざるを得ません。治安が悪いと有名なあいりん地区や西成区で起きた事件の数々を振り帰ってみましょう。

▶︎ 覚醒剤売買横行していた

覚せい剤密売を行っている元締めはやはり暴力団と言われています。
西成を拠点とする暴力団、東組は指定暴力団。 構成員の総数は2011年の警察庁の報告で約180人、2014年の報告で約150人、2021年の報告で約80人とご多分に漏れずどんどん縮小しているようです。昔は、酒梅組という明治から続くヤクザの縄張りだったらしいですが、構成員数は2021年末の時点で約20人と悲しい数字になっています。

西成あいりん地区では、「居酒屋で覚醒剤を売るな」という看板が設置されたりしています。また、コンビニのトイレに「注射器を捨てないでください」と張り紙してあるなど、これほど日常的に「覚醒剤」というワードが目に飛び込んでくる場所は、西成地区以外にはあまり見られません。
西成地区では、以前から覚醒剤の密売が問題になっており、看板にある居酒屋だけでなくあちこちで取引が行われていたようです。
一時期話題になったのが、焼き芋の屋台を装って覚醒剤を売る密売人で、覚醒剤と注射器を入れた焼き芋の袋を販売していたことでも有名。
暴力団員の激減などで治安は回復してきたとはいえ、中華マフィアや朝鮮系はやはりまだまだ覚せい剤密売をやっているとの噂もあります。

あいりん地区にある看板

▶︎全国に知れ渡った西成暴動事件

「西成」の名が、恐怖を伴って全国に知れ渡ったのは、この「西成暴動」が元凶ではないでしょうか。

道路の中央で火をたき「テント村」の強制撤去に抗議する労働者ら=1998年12月28日、大阪市西成区花園北1丁目 出典:朝日新聞

「西成暴動」は、大阪市西成区のあいりん地区で、1960年代から2008年までに、24回に渡って繰り返された日雇い労働者たちによる暴動事件です。別名「釜ヶ崎暴動」とも。低賃金のうえ、仲介業者による搾取が激しい日雇い労働者たちは、日頃から社会や世間に対する不満が鬱積しており、何かのきっかけで爆発すると、暴徒化してしまいがちです。

西成暴動も、初めのころは、些細な事故や事件をきっかけにした自然発生的なものでしたが、1970年代に入ると、「極左暴力組織」が政治的な作為によって先導しだし、ますます激化していきました。それとともに、西成地区は治安が悪く、やばい危険な場所として認識を深めていきました。
暴徒と化した日雇い労働者たちの矛先の多くは警察に向かい、西成署は何度も襲撃を受けていますから、現在の西成警察署が要塞のようなのも、納得できます。1973年、16日間にも渡って続いた第21次西成暴動を最後に、西成暴動は鳴りを潜めますが、1990年に第22次西成暴動が勃発。
きっかけは、あいりん地区の治安維持に努めるはずの大阪府西成警察署の職員が、不祥事を起こしたことでした。翌々年に第23次西成暴動が起こり、16年のときを経て2008年、第4次西成暴動が勃発。後年、この暴動にデビュー当時巻き込まれたお笑い芸人が、その時の恐怖をテレビで赤裸々に語り話題となりました。そして現在。第24次西成暴動を最後に、日雇い労働者によるあいりん地区での暴動は記録されていません。

▶︎逃亡中の殺人鬼「市橋達也」が潜伏

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件
2007年に、英会話学校講師のイギリス人女性が殺害され、死体遺棄された事件。逮捕目前の犯人の逃亡劇が話題となりました。すんでのところで警察の追及をかわし、まんまと逃げおおせた犯人の市橋達也が、逃亡中に潜伏していた場所の一つが、西成区のあいりん地区です。治安が悪い場所だけに、他人に興味がない人が多く、逃亡犯だとは気づかれなかったようです。

市橋達也は、沖縄の離島に潜伏するための資金をあいりん地区に潜んで調達するとう方法で、捜査の目を誤魔化していましたが、日雇い労働で貯めた資金で整形手術を受けるなど、かなり狡猾でした。しかし、こうした画策もむなしく2009年、市橋達也は逮捕され、逃亡生活の全貌が明らかになると、身元の怪しい危険人物が、素知らぬ顔で暮らせるやばい場所として、あいりん地区は注目を浴びることになりました。

▶︎大阪西成女医不審死事件

大阪西成女医不審死事件
いまだ多くの謎を残す「大阪西成女医不審死事件」。当初は自殺として処理されましたが、自宅の鍵が開いていたこと、郵便ポストが壊されていたこと、洗濯機の中に選択済みの衣類が残されていたこと、指紋がほとんど検出されていないことなどから遺族が事件性を訴え、再調査が進んでいる未解決事件です。

事件発生は2009年に起きました。
2007年から、西成区鶴見橋の診療所で内科医として勤務し、地域活動やボランティアにも熱心で、「西成のマザーテレサ」と呼ばれていた女医が、深夜の木津川で不審な死を遂げました。その後、左翼の関与も取りざたされ未だ解決のめどは立っていません。地域の人に慕われた女性医師の不審な死は、西成区の治安の悪さを浮き彫りにしました。

その他、偶発的な事件から隣人殺人、親子間の確執、金銭トラブルなどでの殺人など多々あるようですが、猟奇的で特異なわけではありません。事件に含まれない自死や、孤独死、些細な事件の数を考えると…


西成 釜ヶ崎の街を探訪

さて、前振りが長くなりましたが、釜ヶ崎探訪です。歩を進めます。「動物園前駅」を降りると視界に飛び込んでくるのは、住所を持たない人々が生活する安宿、いわゆる簡易宿泊所が集まっていいます。そして、安価な料金で飲める居酒屋などが目に飛び込んできます。

有名な居酒屋 西成酒場「成り屋」
低料金の簡易宿泊所が並ぶ

ホテルなら1泊10000円は下らないところ、食事なし、トイレ共同とはいえ、1泊1000円から、安いところでは500円~800円というあいりん地区、釜ヶ崎の簡易宿泊所は外国人パックパッカーに大人気なようで、リュックを背負って大きなキャリーバックを転がしながは歩き回る外国人が多々散見されました。

有名な三角公園

そして、西成、釜ヶ崎のシンボル的「三角公園」。
その名の通り、三角形のかたちをした西成の中心部にある公園。炊き出しやステージを使ったライブ、お祭りまで様々な活動の舞台になっている。また敷地内には街頭テレビも設置され、この公園の名物として知られている有名なテレビ。

三角公園
三角公園内で焚火をして陣取る住人たち
絨毯を干している

ここの公園では、極左労働者組合などが催している夏まつりもあるらしく、釜ヶ崎に集う者のふるさとでのお盆のような行事として親しまれているといいます。

と、救急車が現れてドヤ街に入って行きました。あまり見たくないモノ(◯◯とか)を見てしまいそうな予感がしましたのでのその場を離れます。

怖い思いをしましたが、公園横で掃除していた気のいいおじさんともお話できていろいろな話を聞く事ができました。あと、この地域の自動販売機はジュースが50円とかで販売しており、酒類もとても安く、お話をしてくれたおじさんに情報提供のお礼としてジュースを進呈しました。

比較的新しい立呑み屋「たまりばけんちゃん」
ここも新しいですね。ジョーブログさんとかで紹介してました
権利関係なのか廃墟のままの物件も多々あります

奥地に進むと「あいりんシェルター」という施設があったので調査しに入ったところ、許可をとって来たホームレスの人だけが宿泊できる施設だそうで、追い払われました。保健所みたいなところで、結核の検査やホームレスであることの証明?を受けないと泊まれないそうです。
食事も出るようで、路上生活者が少なくなったのはこういう行政の施設ができたからなのでしょう。

あいりんシェルター

線路沿いには以前職安だった施設があるのですが、そこは廃止取り壊しが決定されているらしく、それに反対する極左労働系団体などがバリケードの如くゴミや洗濯機などの廃棄物積み上げて抵抗しているとのことです。

何枚か写真を撮っていると、なんと、そのゴミの中に寝ていた人が異様な雄叫びをあげて向かってるという恐ろしい体験をしました。目の焦点が定まっていない様な感じで、ゾンビゲームかと見紛うほど中々の恐ろしい体験です。こんなこともあるのかという体験でしたが、残念ながら撮影が出来てませんでした。

あまりに恐ろしかったので、明るい通りに向かいます。

「動物園前一番街」「動物園前二番街」はそんな人々の生活圏に延びるまさに生活のための商店街のようです。

ガード下で…寒そうでした

日が暮れてお弁当屋さんなど昼の店がシャッターを下ろすと、街のたたずまいはガラリと変わってきました。薄暗いアーケードにズラリと並ぶけばけばしい色の電飾看板は、この街独特の業態「カラオケ居酒屋」とのことです。別名「中国系ガールズバー」とも呼ばれているようで、中には売春的なことをするお店もあるとかないとか。

商店街にはあやしい中華系カラオケ店が多数

これらは、2015年を前後して「中国人経営のぼったくりバー」という報道が繰り返され、一帯が一躍“悪名高いエリア”として報道去れたらしく、ただでさえ「危ない」といわれる西成に、「中国人」「中国系」というキーワードが加わって、余計に近寄りがたい場所になったと言われているそうです。

商店街はカラオケパブ?だらけです
激安で有名な「スーパー玉出」

西成のディープな地域を一周して探索を終え、いよいよ次は地域的にあいりん地区に隣接する日本最後の遊郭とも称されるあの有名な「飛田新地」(飛田遊郭)に向かうとします。

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