金城 泰生先生の予備校時代

こんにちは、WEBライターの屋高です。

金城先生の予備校時代の教え子でした。

たまたま検索したら出てきたので、備忘録として執筆させていただきます。

普通は書き留めることもないのですが、良い意味で印象的でしたので筆を執りたくなったのです。

不都合がある場合は、速やかに削除させていただきます。

金城先生は予備校時代、浅野大先生というペンネームで活躍されていました。これ以降、当時のペンネームの方で書かせていただきます。


肌着にジャケットの一日一生!口癖は「絶対」

浅野先生は、威勢のいいTHE熱血漢。

高校にいたら100%体育教師に見える系の人だった。


いつも黒の肌着にジャケットを着ている。

ジャケットを着て教室に入ってくるのだが、教室に入った瞬間必ずジャケットを脱いでいた。

絶対脱ぐなら着てこなきゃいいのにと浪人時代思ったが、今思えば何らかの決まりだとか、取り決めだとか、貴重品の管理だとかがあったのだろう。


浅野先生が配る全てのプリントには「1日1生」の文字が刻まれていた。

A3のプリントなら1ページにつき2か所印刷されていたので、初めて見たときは驚いた。


口癖は「絶対」

なにかを決めたとき、絶対やり遂げるよう努力ができる人だった。

印象的なエピソードは、奥さんと初めて会ったとき、絶対結婚すると決めて何度もアプローチしたところだ。これは冗談かもしれないが、「10回振られた!」と言っていた。

異性関係に限らず、何かを決めたら「絶対」やり遂げるように努力するといった信念を持っていた。


浅野先生は結果について誰よりも厳しい講師だった。

塾生にも厳しいが、自分にも厳しい。

講習は満席になるほどの人気講師だった。


浅野大先生の最後の授業

最後の授業で、浅野先生は黒板にでかでかと「金城 泰生」と書いた。

2016年の冬のことである。


「今年で辞めます。数年前から準備していたことに来年から打ち込みます。浅野大はペンネームで、金城 泰生が本名です。みんなが僕の名前を検索できるように教えます。」


何をやっている人なのか興味を持った。いったい何をしている人だろうか。


この副業のために睡眠時間は5時間、本気で取り組んでいたらしい。


家に帰るなり「金城 泰生」と検索してみたが、怪しげなサイトしか出てこなかった。投資をやっていることと、奥さんも関わっているということしか分からなかった。(奥さんも同予備校の講師だったから)


浪人が終わり、大学に進学してみてからも検索してみたが、相変わらず情報は更新されなかった。


2020年9月

大学四年になった私はWEBライターをしていた。

当時の浅野先生のように熱血漢系のTwitterアカウントに囲まれながら過ごしていた。

ふと浅野先生のことを思い出した。

インフルエンサー界隈と浅野先生が似ていたからである。

正直「金城」という苗字しか覚えていなかったのだが、「浅野大」と検索した直後に「金城」と打ったら「金城 泰生」と予測変換で全て出てきたので検索できた。


金城 泰生先生が本を出してる!!

検索結果を見ると、金城先生が幻冬舎から投資の本を出していることが判明した。

『医師のための 2年で1億円の「現金」を稼ぐ不動産投資』


なるほど。投資家になったのか。


日本の富裕層の半数は投資家だが、そこを目指して実現させたのか。その実績を担保に本を出したとこまで理解した。


てか、宣材写真が予備校講師のときと同じなのが少しツボ。



本気の人が成果出すとすげえなって話でした。



おわおわり!

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