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「街に河原が現れた」           やどかりハウス 街の人インタビューvol.3 犀の角 荒井洋文さん・舞さん

やどかりハウスの拠点である犀の角を運営するお二人。上田の中心街、海野町のど真ん中、人が集まるその場所に、雨風しのぐ宿を必要とする人達が駆け込むようになったことで、その場にはどのような変化があったのか。という視点で聴いていましたが、見えてきたのは「変化」とはまた違う質のもの。古来から人間が必要として作ってきたものでした。

話し手:荒井洋文 荒井舞
聞き手:元島生

犀の角 荒井洋文さん(写真本人提供)

むしろ面白くなってきた


舞さん 犀の角はコロナ以前から旅人や演劇人や街の人などいろんな人が交錯する場ではあって、それはそれで面白かったのですが、やどかりハウスをやったことでそれまでとは違う面白さが生まれたように思います。あまりにも今が面白くて、もう以前の在り方には戻れないと思ったりします(笑) 夜中に家出してくる人がいたり、フラッシュバック起こして泣いている人がいたり、そこに旅人や演劇人が居合わせて共感して泣いていたり、立ち直るきっかけを与えていったり。普通のゲストハウスだけでは生まれないものが生まれる場になっていて、私たちもそれにどこか救われているようなところがあると思います。

フィクションの価値が下がった


洋文さん もともとここは演劇など表現の場としても存在していますが、やどかりハウスをやったことで、映画や演劇などフィクションの相対的価値が下がったと思っています。現実で起こっていることの方が面白い。私は場の運営者として少し客観的に起こっていることを眺めているからかもしれないけど、例えば悩みを抱えててやどかりに繋がった人とそれをケアしようとしている人、みんな何かの役を演じているように見える。関係性の中で表現を変えているのが分かる。ちゃんと話を聴いてくれる支援者が来たら余計に荒れていたり、言い方や態度が変わったり、出しやすいところに出していたりする。またうちのスタッフも家族の役割を演じたり、友人の役を演じたりしながら、関わり方も様々に変化する。関っているみんなが質のいい演技をしていて「あー今日はこんな感じか」と思う。また相談内容も家族の問題にブラック企業に男女問題に生活困窮。ままならない現実が否応なくやってきてはみんなが演じ出す。みんな真剣だからこそですが、とても質のいい演劇を観ているという感覚があります。

むき出しの言葉たち


舞さん みんなが出す言葉もとても面白いです。例えば「死にたい」とか含めて普段私たちが社会を生きる上でいつの間にか蓋をしてきた感情が生身の言葉で語られる。それに触れた時に自分の中にある感情や想いにも気が付いたりして、自分と何も変わらないんだなと思うし、仲間ができたというような感覚もあります。やどかり利用者さんたちが演劇を観てくれて感想を伝えてくれる時があるのだけど、その感想を聞いて俳優や演出家が泣いたりして。彼女たちに興味を示してプライベートで付き合いが始まったりすることも多いんです。
洋文さん 表現をしている人達も現実の中で苦しんだ経験を持っていたり、演劇や言葉によって救われてきたりしてきた人が多いし、普段から自分の納得のいく言葉を探しているところがある。だからこそ通じ合う部分もあるんじゃないかと思います。

「河原」という空間に生まれたもの


洋文さん やどかりハウスで起きていることを見ていると、日本の歌舞伎の発祥の場でもある「河原」と重なるとことがあります。河原は社会システムに嵌らない「まれ人」つまりアウトサイダーが集まる場でもあった。宗教者や身分低い人や職人集団などが集まり、しだいに何か演じるようになり、それが役者と呼ばれるようになった。「河原人」と揶揄されるその役者たちは民衆には大変に人気があり、それが大きな文化になっていく。河原は普段の社会システムから外れた解放区的な場所であり、立場性がひっくり返ったり価値が転換されたりする場でもあった。そこで演じられるものも価値を覆していくものが多かったのではないかと思います。またそれは西洋の職業としての演劇とは違って、フラットで多様でごちゃごちゃした中で発生する何かだった。そういう場や空間を人々は必要としたのではないかと思います。
 やどかりハウスやのきしたで起こっていることもそれに近いと思う。社会がこれだけ閉鎖的になり出口が見えなくても、人間はどこかで「河原」的な場を作る存在なのではないかと思います。
 冒頭にもう戻れないという話がありましたが、これから犀の角でやるべきことは括弧つきの「演劇」をステージで敢えて演じて、そこに観に来てもらうことであるとも思っています。その時にフィクションの質や強度は必要になってくるとは思いますが。現実の方がむしろ面白いのだから、生半可なフィクションでは現実に太刀打ちできないと思うのです。また、「劇場」が「劇場」として在ることも違う。それは私たちがここを立ち上げた当初からずっと考え続けてきたことで「劇場」とか「居場所」とか今ある言葉にくくられ価値づけや意味付けされることをずっと拒否してきた。そこにコロナがあって「河原」のように社会に乗り切れない人たちや、意味付けや価値づけられることを拒否する「何者か分からない人」がさらに集まってくるようになり、毎日何かを演じているということが起こっているという気がしています。
のきしたで起こることを「出会い直し」と元島さんが表現していたけど、演劇の役割もそこにあるような気がします。


犀の角 荒井舞さん(写真本人提供)

新しい戯曲を作っている


舞さん 場作りネットさんの支援としての動きや言葉にも刺激を受けています。支援記録を読むと対応の意図をその都度言葉にしていて、それがまるで戯曲を読んでいるような感覚がして、その作業というか時間が演劇に関わる人たちが演劇を作るときにしている作業ととても似ている気がしてます。
洋文さん 新しい戯曲を作っているということじゃないかと思ってみています。自分にとって一番しっくりくる言葉を探している。助かり合おうとしている。それは本質をみようとしている行為で、この世の中でどう生きるかという問いがいつもある。そういう問いを持っているという不安定さが、ある種の人を惹きつける引力のひとつになっているのではないかと思っています。

舞さん 今までのような「ゲストハウスの仕事」として考えると今起こっていることは困ることだらけで、実際に注意することもあるけど、コロナ以後は特にこの場所がゲストハウスとしての意味合いだけではないものがたくさん含まれた場所になっているので、許容範囲が広くなっている気がします。多様だから価値づけせずにいられるというか。むしろもっといろんな人が来れるためにはどうしたらいいだろうかと考えたりするようになりました。

名付ようのない場所


洋文さん やどかりハウスを計画してた当初は、やどかりハウス利用者にステージに上がってもらって、一緒に演劇を作ろうみたいな話も出ましたが、実際にはじめてみたらそれは必要のないことだと分かりました。すでに毎日が演劇だし「当事者」とか「障がい者」とかいう価値づけや意味づけをすること自体にどこか嘘くさい感じがする。今ここで起こっているように意図せずいろんな人がシャッフルされ、それによりまた別の者が入ってまたシャッフルされて、何かが必然性をもって生まれる。そういう流動性の高い現場がやはり面白いし、それは今ある言葉では名付けようがないのだけど、そういうものにこそ意味はあると思っています。

まれ人が街を豊かにする


舞さん やどかりの人たちが街に出ていっていることもとてもうれしいと感じています。街のいろんな場所で安らかに過ごせている様子を見聞きすると本当にほっとします。うれしいしよかったと心から思います。
洋文さん もともと犀の角は旅人や旅芸人のような「まれ人」が集まる場所で、街にそういう場ができることで、東京志向というか新自由主義みたない流れに対するカウンターの意識がありました。コロナ以後さらにそこに困りごとを抱えた人達が集まり、今まで街に居場所がなかった人や、自分たちは苦しいのだと表明できなかった人が、街に登場して苦しさを表明しそしてそれが受け入れられている。それは本当にうれしいことだし、街が豊かになっているという感覚があります。

問いが内包された場作り


舞さん ゲストハウスはもうお客さんも戻ってきている部分もあり、イベントも少しずつやれるようになりました。しかし、コロナ以前の在り方に戻るという発想はもうありません。もう大事なことは変わったと思っています。今までとは違う在り方が求められていると思います。
洋文さん やはりそれは本質への問いではないでしょうか。これからの活動や場の在り方としては、社会や世界に対する問いが内包されているようなものでなくてはいけないと感じていますし、そういう問いが発生する余地がある空間がいつの時代も必要で、人々は知らず知らずそれを作るのだと思います。

”集まれないなら開く”をテーマに街中で芋を配り歩いたのきしたおふるまいパレードの様子

聞き手所感  街に河原が現れた  

NPO法人場作りネット元島生

 コロナ騒ぎが始まった時、これは大変なことになると思った。しかし同時に妙な期待があった。台風や大雪の時に感じる気持ちと近いかもしれない。今ある景色が大きな力で変化していくことにどこか喜んでいた。
 資本主義やそれを支える社会システムの中で、人々は価値化され意味付けされ自由な生を生きられなくなってきている。困りごとを抱えた人たちと出会う度に、社会の暴力性を感じ、またそれを助けるどころか排除してしまうシステムに触れ、私はいつも怒っていた。絶望と怒りとが自分を蝕んでいた。
 支援者と呼ばれる人たちや運動家の人たちは、それでもこの社会システムの中に人々を包摂していくことを志向し、地道な活動をしていたし、僕もその一人だった。しかし、それで本当に世の中が変わるとはもう信じられなくなっていた。もっと根本的に自分たち自身を変えていくような、このシステムに寄らない世界を構築するような、本質的に自分たちの世界がこれでいいのかを問うような在り方、そしてそれを一緒に取り組む仲間を私は切望していた。そうでなければもう生きることはできないと、どこかで分かっていた。
 やどかりハウスはそうした中で、まさに渦のように発生した。街に「河原人」が集まりだし、立場は壊れ、みんなで何やら演じ始めた。私の中の怒りや味わってきた悔しさは知らず知らず「踊り」となって街に溢れ出た。私はそれが嬉しくて嬉しくてしかたない。
 インタビューは3回目。やるたびに希望を感じる。やどかりを使ってくれた140名にも少しずつインタビューしていきたい。
 私たちは、きっと大丈夫だ。


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