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創世記第16章1〜16節「神は見てくださる。聞いてくださる」

尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生による4月28日の説教。この日の題材は創世記第16章1〜16節「神は見てくださる。聞いてくださる」。

創世記第16章1〜7節
創世記第16章7〜16節


 ノートルダム清心学院の渡辺和子理事長による「置かれた場所で咲きなさい」という本があります。ベストセラーとなった本ですが、このタイトルはもともとは宣教師から贈られた詩から来ており「神が植えた場所で咲きなさい」というニュアンスだったそうです。

渡辺和子「置かれた場所で咲きなさい」書影


 アブラハムの妻サライは、子供を身籠ることがなかった。それで自分のエジプト人の召使いであるハガルを夫に与えて、子を成すように勧めた。その結果ハガルはアブラハムの子供を授かった。しかしこのことでハガルはサライを馬鹿にし始めた。これに怒ったサライはハガルの無礼を夫に訴えた。夫は妻の剣幕に恐れを為して「もともとハガルは君の召使いだから」と腰が引けた態度。お墨付きを得たサライはハガルを虐め始めた。ハガルはサライの扱いに耐えかねて出奔した。御使はハガルに「あなたはどこから来て、どこに行こうとしているのか?」。ハガルはどこから来たのかは答えたものの、どこに行こうとしているかは答えることができなかった。これに対して御使は「サライのもとに戻って、へり下って仕えなさい」と諭した。ハガルは身重であったから。大事なことは慌てて決断しないこと。

ハガルを追放するサライ


マタイ伝第2章13節では、神の御使がヨセフに伝えた。「私が告げるまで、そこにいなさい」。神からのサジェスチョンが有れば動けばいい。そうでないのなら動かないことも智恵。このトラブルはハガルの驕った態度が原因ではあるが、一方でサライの虐めにも課題がある。しかしここで御使は、ハガルに取るべき態度を告げるだけだった。ハガルも悪いが、サライも悪いという風にはならなかった。これはあくまでハガルがどう動くべきかを教えていて、他人がどうなのかということは、神は触れないということ。そして10節には、戻るサライに祝福を与えている。彼女はエジプト人で苦労していた。そこは神も全てをわかっていて察していた。人が人に思いを伝えることは難しい。伝えたつもりで伝わっていない。しかし「主よ助けて下さい」それだけで十分な万能の主なのであるの

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