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初の本格派相撲小説「雷電本紀」

飯嶋和一「雷電本紀」(小学館)。寛政の強豪力士・雷電為右衛門の生涯を描いた小説。以下、ネタばれあり。少々、長文に。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09403313
 雲州こと松江藩お抱え力士となった雷電為右衛門。信州出身の雷電の幼名・太郎吉は、浅間山噴火と地震で飢饉に苦しむ寒村は、一揆も起こし「シナノモン」と呼ばれて蔑視された。そんな中で雷電の幼名・太郎吉は、その巨躯を見込まれて、江戸相撲年寄である浦風林右衛門から三顧の礼を以て、江戸勧進大相撲に迎えられた。その俊敏な運動神経と強靭な精神力も兼ね備えた偉才は、大関・谷風も認めるほどであった。やがて敵なしとなった雷電は、千田川など五天王ととして雲州黄金時代を築く。江戸本場所での通算成績は254勝10敗(34場所)、勝率.962だった。これは谷風すら上回る当時の最高勝利数かつ最高勝率である。引退後も相撲頭取として、角界に尽くす。幼少時の苦労を忘れず、道端の赤子を次々と抱き上げて病魔払いに努めたり、飢饉に苦しむ農村を元気づけるために、無償で土俵入りに出向いたりする。民衆は、そんな雷電の気性を知っていて、神の如く崇めた。一方で雷電と心を交わし、彼を心身両面から支えた鉄物問屋の鍵屋助五郎が、もう一人の主人公である。天明の大火に焼け出されて、両親とも生き別れ。それを両親に恩のある幸兵衛が救い、一家を構える。人徳備えた生き方と商売で、家内からも巷からの信頼も厚い。しかし引退後の雷電が、亡くなった力士供養のため釣鐘を作りたいと望んだことで、幕府の政争絡みで罪に問われる。当時は火災後に焼け出された寺社が釣鐘造りと称して集めた寄進を持ち逃げする事件が相次いだため、釣鐘造りはご法度だったのだ。しかし寺社住職と雷電を助けるために、助五郎は茨の道を歩む。
 相撲取りを主人公にした小説は珍しい。まして長編小説も思い浮かばないし、さらには傑作などと評される作品もない。しかし本書は間違いなく、味わい深い傑作である。さすがは小説の妙手・飯嶋和一。この作品は、力士の仕切りや取組での動きを、見事に仔細なまでに描いている。また世を支配する侍たち(おそらく今の政治家たちを模している)が、いかに民の辛苦をよそに、自らの地位保全のために汲々としていたかも批判する。相撲好きとしては、この小説を読んで、二つのことを思う。一つは2011年の大相撲八百長事件で角界を追放された、体重266kgの巨漢力士・山本山龍太がインタビューに答えて言ったことば。「相撲協会がなかったらただのデブ。今日からお相撲さんじゃないと言われても状況が分からない」。巨体故に貧しい郷里に居ても、大飯喰らいで迷惑がられるだけ。だからこそ、貧しさ故に女郎屋に売られた娘たちのように、実家を追い出されて相撲の道に進まされる。世を席巻した雷電も、山本山の気持ちはよくわかるに違いない。もう一つは第4代横綱である谷風に関して、長年に渡って抱いていた疑問。あれだけ強かった雷電が横綱とされず、大関止まりだったこと。また同じ西方で、江戸勧進大相撲では一切取組がなかったこと。これらは谷風が雷電を自分以上に引き立たせないようにする谷風の謀だったのではないかと疑っていた。しかし本書は、当時は横綱という地位はなく、横綱土俵入りという客寄せイベントのためだけに存在していたこと。またこの時代の相撲取組は、東西対抗制になっていて、決して戦うことになっていなかったことを説明することで、谷風の陰謀ではなかったと暗に言っている。これには胸の支えが下りた気がする。

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