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「書くこと」と「テレパシー」

スティーヴン・キングの『書くことについて』は自分にとって聖典のような本で、気持ち悪いくらいに線を引いて付箋を貼り、仕事を始める前や、仕事中に書くのがつらくなってきた時などに何度も読み返している。

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スティーヴン・キングはこの本の中で、書くこととは、「ずばりテレパシーである」と述べている。そしてテレパシーの実演をしてくれる。次に引用するので、この記事を読んでいる方にもぜひスティーヴン・キングのテレパシーを受け取ってほしい。

「さて、ご覧あれ。ここに赤い布をかけたテーブルがある。その上には、小さな水槽くらいのケージが置かれている。そのなかに、鼻と目の縁がピンクの白ウサギが入っている。前脚でニンジンをおさえて、おいしそうに食べている。ウサギの背中には青インクで8という数字が鮮明に書かれている」

……伝わっただろうか。自分にはビリビリ伝わった。
この一節を読んでから、自分もテレパシーを使えるようになりたくて、努力してきた。情景が目に浮かぶように、緻密で濃い、鮮やかな描写をするように心がけた。結果、編集者の方や読者の方から自分の作品は「映像的だ」とか「映画を観ているような感覚になる」と言ってもらえるようになった。

だが『マザー・マーダー』の連載中、担当さんによく指摘されたのは《描写のしすぎ》だった。描写を濃くしようとするあまり、主人公の目に映るものを全部説明してしまっていたのだ。
《色を書きすぎ》とも言われた。例えば第三話で梶原家のリビングの情景描写を、自分は元々はこんなふうに書いていた。

「グレーのカーペットが敷き詰められた床にガラステーブルと布張りのソファー。その向かいに液晶テレビ。四人掛けのダイニングテーブルがあるだけのがらんとしたリビングだった。掃き出し窓の厚ぼったい緑色のカーテンは閉じられていて、昼なのに薄暗い」

確かに、うるさいくらいに色を書いている。担当さんの指摘でどのように修正されたかは、単行本『マザー・マーダー』の方でご確認ください(宣伝)

あまり色を書きすぎない、と決めてから、読者に何を伝えたいかを考えて描写するようになった。例えば「煤けたような色のジャケット」とか「落ち着いた色合いのコート」でも、その登場人物の印象を伝えることができる。こうして適度な描写で伝えたいことを伝える、という方向にシフトしてきて、最近になって自分は大変なことに気づいてしまった。

これまで、書くこと(=テレパシー)で自分の頭の中にある情景を読者に伝えた気になっていたが、自分の小説を読んだ読者の頭に浮かぶ情景は結局のところ、その人にしか見ることの出来ない、まったく別の情景なのだ。

このことに気づいて、自分は「テレパシーの能力なんてなかった」と落ち込みはしなかった。むしろ感動した。自分が書くことで、読んだ人の頭の中に、その人だけに見える景色が生まれるのだ。

そしてこの気づきとともに、スティーヴン・キングの言う《テレパシー》の力を、ずっと誤解していたのだと気づいた。スティーヴン・キングの頭の中から送られてきたと思っていた背中に青インクで8と書かれた白ウサギは、スティーヴン・キングが描き出し、それを受け取った自分の頭で生み出したものだった。テレパシーとはそういう力だったのだ。

元々そういう姿勢で書いたり読んだりしていた人にとっては凄く当たり前のことなのかもしれないが、自分にとっては大発見だったのでわざわざnoteの記事にしてしまった。でも、こう考えると《書いたり読んだりすること》から生まれる心の動きが、奇跡や超常現象のように思えてこないだろうか。

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