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Michael Breckerの名盤 (8) Two Blocks from the Edge/ Michael Brecker:評伝エピソードを交えて

私がジャズサックスに傾倒するきっかけとなったテナーサックス奏者、Michael Breckerの評伝「マイケル・ブレッカー伝 テナーの巨人の音楽と人生」が刊行されました。
というわけで、評伝のエピソードを挟みながら、私の好きな名盤、名演を紹介しようという企画です。今回はその8回目。当然ながら、評伝のネタバレもいくらかありますので、ファンの皆さんはまずは評伝を買って一読することをお勧めしますし、そこまでは、という人もこの記事で評伝に興味を持ってもらえると(そして買って読んでいただくと)幸いでございます。

今回の名盤:
Two Blocks from the Edge/ Michael Brecker

今回採り上げるのは、マイケルの5枚目のリーダーアルバム"Two Blocks from the Edge"ですね。高評価を得たオールスターアルバム"Tales from the Hudson"の次作として、気心知れた自らのリーダーカルテットでじっくり仕上げたアルバムと思います。前作に比べると地味だけど、変な気負いが感じられない佳作という感じですかね。
下で改めて書くけど、今回分かったのが、このカルテット、その後ずいぶん長くほぼ同じメンバー、同じレパートリーで演奏を続けていること。オーソドックスなテナーカルテットということもあり、マイケルにとっては「ホーム」みたいなバンドだったんじゃないだろうか。などという思い付きも含めて書いてみます。


8.1 "Tales from the Hudson"の高評価

「ジョーヘン事件」の後、マッコイ・タイナーのアルバムへの参加で、ジャズ・ジャーナリズムから「現代ジャズ界を代表するプレイヤー」と認められるに至ったマイケルは、その後順調に活動を続ける。これも前回書いたが、決め手となったのはパット・メセニー、ジャック・デジョネット等を擁したオールスター編成で録音された、"Tales from the Hudson (1996年リリース)"だったと思われる。マイケルはこの作品で、グラミーの「最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム賞」および「最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・ソロ賞」を受賞している。
"Tales From the Hudson"といえば、私はそのオールスターメンバーでの来日公演を観ている。東京ディズニーランドの近くのホールで行われた"Concert By the Sea"というイベントで、関係者に席を取ってもらって、なぜか最前列に着席。ちょっと離れたところに佐藤達哉さんの顔も。
このイベント、マイケルのバンドのほか、ブライアン・ブレイドとクリスチャン・マクブライドを擁するジュシア・レッドマンバンドジョージ・ガゾーンバンド(確か怪我か何かで来日できなくなったジョー・ロヴァノの代役)、さらにはデイヴ・リーブマンが加わった4テナーバンドなど、テナー吹きにとっては天国のようなメニューを最前列で堪能、、といいたいところだが、流石に昼の二時ごろから次から次へとテナードロドロ音楽が続いて、最後は吐きそうだったw  多分その時のマイケルオールスターバンドの映像がこれ↓

その時の4テナーバンドがこれ↓。ライブの最後にこのバンドが出てきてさすがに食傷w


話は前後するが、"Tales from the Hudson" の半年前にリリースされたハービー・ハンコックのリーダー作"New Standards"への参加もマイケルのジャズ界での評価を高めた要因かもしれない。私もこのアルバムはよく聴いたし、追加で発売されたライブ音源も強力だった。今回気が付いたのだが、年齢的にも、音楽環境的にも近いと思われるマイケルとギターのジョンスコ(ジョン・スコフィールド)だが、まともに共演しているのはこのユニットぐらいじゃないだろうか。他にあれば教えてください。
このバンドは、フルコンサートの動画が沢山上がっているので、今でも楽しめます。そのうちの一つをシェア。私も参加したTV-JAZZで、この一曲目"New York Minutes"のアレンジをパクって「猫目小僧」を仕上げたのも良い思い出だ。

8.2 自己のカルテット結成

"Tales from the Hudson"ではオールスターメンバーを揃えたマイケルだが、その後,1996年末に自らのツアーに向けてカルテットを結成する。メンバーはピアノがおなじみジョーイ・カルデラッツォ、ベースが第二期ブレッカーブラザーズバンドで一緒だったジェームス・ジナス(ただしこのバンドではアコースティックベースを弾く)、ドラムがマルサリス兄弟との共演で知られるジェフ”ティン”ワッツ。このバンドの結成後1年ほど経って、1997年12月に今回採り上げたアルバム”Two Blocks From the Edge"を録音。
このカルテットはその後数年間のマイケルの活動の基本となり、散発的に再結成されてツアーを行う。今回色々調べてみると、同じメンバーで2001年に演奏している模様。というわけで、You Tubeでいくつかピックアップしてみよう。

これは1998年8月なので、アルバム発表後間もないころかな。すでにバンドとしては出来上がってる感じですね。

やはり1998年だけど、ドラムがラルフ・ピーターソンに替わってます。このツアーだけトラで参加した模様。

これは1999年の映像。スペインのライブらしいが、ジョーイの気が狂ってますw。トリオの演奏部分だけ見るとブランフォードのカルテットと変わらないw

2000年の映像。屋外の昼間ということで楽しそう。マイケルのいい笑顔がたくさん見られます。一曲目のSlings and Allowsはテンポが倍ぐらいにw

2001年6月の演奏。音源のみ。最後のコード進行のおかしい「枯葉」は、マイケルがこの頃、このバンドに限らずあちこちで演奏してました。最近私もやらされてます。

上の音源の次の日だが、このカルテットにマイク・マイニエリを入れてステップす時代の曲を演奏させようという珍しい企画。いかにも日本人が考えそうなアイディアだが、カナダのフェスティバルですな。

評伝によれば、このバンドは2001年9月11日からニューヨークのクラブ「イリジウム」で一週間のギグを行う予定だったとのこと。しかし、まさにそのスタート当日に起こったあの国家的惨事のためにギグはキャンセルとなってしまう。それでも、マイケルは、人影もまばらで、まだジェット燃料の匂いが残っているニューヨークで金曜日の夜にチャリティライブを敢行し、10人程度という数少ない観客の前で演奏した。この日集まった客の前でマイケルはこんなことを語ったという。

『ここはニューヨークだ!我々はここでジャズを演奏している!奴らは好きなだけ人を殺すことができるかもしれないが、もし我々がここを閉ざしてしまったら、奴らの勝ちになってしまう。だから我々の音楽を演奏し続けなくてはならないんだ』 マイケル・ブレッカー

マイケル・ブレッカー伝より

もしかするとこの日がこのレギュラーカルテット最後の演奏だったのかもしれない。

だったら格好いいのだが違ったw ベースはクリス・ミン・ドーキーに替わっているものの、2003年の映像が残っている。メンバーは替わったが、レパートリーはまさにこの「レギュラーカルテット」のもの。

更に同じメンバーで2004年、マイケルが病気で演奏活動を中断する1年ほど前の映像も見つけた。80年代後半のレパートリー”The Cost of Living"をやっているのが珍しい。マイケル80年代より音色がちょっとスモーキーになり、音程や音量などの表現の解像度が上がっているように聴こえる、実に感動的だ。
改めて考えると、この「レギュラーカルテット」足掛け8年ほぼ同じメンバーで活動していたということだな。これは今回の大きな発見といえよう。

8.3 Two Blocks from the Edgeを聴いて

さて本題。
結論から言うとこのアルバム、っていうかこのバンド、なんというか演奏、曲含めて「素」のマイケルが聴ける感じがして、私は大好きです。結成後1年ぐらいの録音なんだけど、息もピッタリ、お互いの聞かせどころよく分かっていて、すでに「レギュラーバンド感」を醸し出していて良い。
曲もそれぞれ個性があって良いのだが、やっぱり一番面白いのは "Delta City Blues” かな。サックスの短いソロから、フラジオ音域も含んだ跳躍音を駆使したユーモラスで可愛いテーマ、、なのだが、サックス吹き的にはこんなもんどうやって吹くんだ、という超絶技巧てんこ盛りで途方に暮れてしまう。このテーマ、というかモチーフだが、上に書いた日本でのConcert By The Seaイベントの本番前、会場の外からマイケルのウォーミングアップが聴こえてきて、そこで吹いていたものだと思う。凄い練習してるなあと思ったら、実は曲のテーマだったw
あとは、改めて聴いてブランフォード・マルサリスのバンドみたいだなあ、と思ったのが "The Impaler" という曲。ドラムとピアノが同じ人たちなので似るのは当たり前なのだが、実はジェフ・ワッツの曲で、自身のリーダー作でマルサリス兄弟と演奏してるバージョンがあった。なるほどね。
他の曲も、それぞれひとひねりあって良い曲揃い。"El Nino" あたりは自分でも演ってみたい。上の映像で振り返った通り、"Tales From the Hudson" とこのアルバムの曲が、その後も長い期間 このバンドの主なレパートリーになっている。このアルバム、あとから考えると8年(!)続いたバンドの2年目に録音した作品な訳で、さらにバンドとして成熟した段階で、オフィシャルなライブレコーディングをすればよかったのになあとも思う。ちょっと残念。

改めて、90年代後半から2000年代初頭のマイケル、プライベートなスキャンダルもなく、大物ミュージシャンのスペシャルプロジェクトに入ったり (ハービーハンコックとのDirections in musicとか、デイヴ・リーブマンとジョーロヴァノのTenor SummitとかPat Methenyとのスペシャルバンドとか)、下に書く通り、自身の新作から派生した別のレギュラーバンドでツアーしたり、順調な活動を続け、とにかく多忙だったはず。にもかかわらず、このレギュラー・カルテットをなんとなく維持していたのは、自分の音楽の「ホーム」がここにあると感じていたのかな、と思う。それなりの期間活動を続けたこともあり、大げさに言うと、コルトレーンの「黄金のカルテット」的な凄味と一体感がある。結局ライブで見られなかったのが心残りだ。
なんとなく見過ごされる感のあるこのアルバム、およびこのバンドだが、再評価が必要だと強く信じるわけであります。

8.4 (おまけ)次作"Time of the Essence"

90年代後半のマイケルは、レギュラーカルテットが活動の基本だったが、上に書いた通り、他にも様々なセッションに参加している。特徴としては「アコースティック」ということだろうか。EWIの登場頻度は減って、どちらかというと伝統的なジャズのフォーマットに呼ばれることが多かった
そんな背景で作られた次のリーダー作が、"Time of of the Essence (1999年)" で、オルガンのラリー・ゴールディングスギターの朋友、パット・メセニーを基本メンバーとして、ビル・スチュワートジェフ・ワッツ、そしてあのエルビン・ジョーンズが曲により入れ替わりでドラムに加わるという企画。

マイケル的には、敬愛するコルトレーンカルテットのドラマーであるエルビンとの共演は長年の夢だったのだろう。エルビンが亡くなったのが2004年(76歳)だそうなので、どうにか間に合ったという感じか(とはいえ、マイケル自身もその三年後に亡くなるわけだが、、)。
このアルバムリリースのあと、マイケルはラリー・ゴールディングスギターのアダム・ロジャースドラムのアイドリス・ムハマッドを擁したカルテットでツアーを行い、私は当時住んでいた米国デンバー(実際にはお隣り町のボルダー)でライブを観ることができた。記録によれば2000年4月。マイケルはとにかく集中した演奏を続け、絶好調だった。ドラムが凄いなと思ったら実はアイドリス・ムハマッドではなく、最近小曾根真さんのトリオでも有名なクラレンス・ペンに替わっていた。このバンドが私にとって最後のマイケル生観戦となる。
このバンドの映像は観たことがなかったのだが、今回調べたら、なんと、日本での演奏が出てきた。私がアメリカにいたので知らなかったが、こんなイベントに出てたのね。茨城じゃん。

このバンドでさらにジャズ的表現の幅を広げ、マイケルは2000年代も順調な活動を続ける、かに思えた。。

というわけで、今回はここまで。本記事のマガジンはこちらから。



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