西の山羊が亡くなった。ふみぐらさんの事。

※これは追悼文だ。俺なりの最大の弔意を表している。でも表現的に不謹慎だと思うかもしれない。本当に申し訳ない。

西の山羊が亡くなってしまった。
最初に「西の山羊が死んだ」にしようかと考えた。梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」のオマージュ。でも会った事ない人に「死んだ」とか言う。いくら失礼な俺でもまあ、どうかと思う。
(ふみぐらさんの長野は俺がいる新潟の西だ)

西の山羊が生きて死んだ。

西の山羊、これはふみぐらさんの事。

時系列がごちゃごちゃになるけど許してくれ。

※人間関係って奴は時系列で説明するのはそぐわないという事に気が付いた。様々な事が有機的に絡み合って、色々前後し、交錯しながらお互いのキャラバンは進む。無機質な関係なら時系列で説明が成り立つ。
(この部分、ふみぐらさん、喜んでくれそうだ)
(鼻で笑われるかもしれないが)
(そんな事しないよな、ふみぐらさんは)

俺は2020年の初夏からnoteを始めた。驚いたんだけどnote界隈、山羊が結構いるの。野やぎさんもそうだし。facebookで一時期俺は「牛」的木村だったんだけど、牛、一頭もいなかったぞ?

一度、嶋津さん主催zoomでふみぐらさんと言葉を交わした。マジで山羊だった。山羊って髭ある奴いるでしょ。あの髭がマジであるの。さっき猫野サラさんのnote読んだら昔は横浜の美容室で手入れしてたって、正気か?
まあ、かっこよければ全てokだせ。ふみぐらさんの髭はかっこよかった。

悔いが残る。その髭触りたかったぜ。

ふみぐらさんが検査入院をされた。彼は「ナッソー」と書かれた付箋が自分のベッドに貼ってあり、その事をTwitterで笑いに転嫁していた。彼は「ナッソー」時点で病気を明らかにしていなかった。
俺は現場ではないが医療業の端っこにいる。「ナッソー」はマットレスの商品名で、身体を動かせない方の身体に褥瘡(床ずれのひどいやつ)が出来ない様にするマットレス。決してバハマの首都名ではない。バハマの首都名をふみぐらさんに付けたのならそれはそれでセンスのある現場だ。
理解したのが「ナッソー」の上にいるふみぐらさんはかなり重篤な状況だという事。
この時点でふみぐらさんは自分の事を概ね理解されていたはずだ。その上で「ナッソー」。彼は強い。
僕は後頭部の頭皮に変な冷たさを感じた。僕には絶対に出来ない。彼に対してのこの「強い」と言う表現が正しいかどうかわからない。確実に言えるのは僕は出来ない。
彼の思考は僕の弱さを浮き彫りにした。



長野で草をハムハムしてたはずのふみぐらさんがかなり重いステージのガン。Twitterでも皆が遠巻きにしている様な気がした。平常運転はナースあさみさんだけ。医療業現場はこれまた強い。
俺はうろたえていた。実際に会っていないから想像が暴走した事もあるだろう。ふみぐらさんが受けている肉体的な痛みも、精神的な痛みも、勝手に想像した。

Twitterで話しかける事を躊躇する。俺だったらどうしよう。俺なら話しかけて欲しい。でもテンション低く、大丈夫?と言われるのはロケンローじゃないだろ。しかし相手はどう思うかわからない。

考えた末にアニキ!と呼ぶことにした。ふみぐらさんは山羊のアニキだ。極道エッセンス入れば気軽に受け止めて、気晴らしになるのかもしれない。
緊張しながらアニキ!と呼びかけた。
来た。ふみぐらさんから。
「兄弟!」

ふみぐらさんと頻繁にやり取りするようになったのは同人誌「東京嫌い」。担当編集の彼は僕の初めての編集者。そのやり取りは心地よく、更に書こうという気にさせてくれた。
その後ふみぐらさんに、別の小説1篇のアドバイスを求めた。
この短編だ。正直今考えると、小説の体をなしていない。自分の書きたい事を何も考えずに書きなぐった様な気がする。
でもそこまで悪くないと思う。これ好きだし。

ふみぐらさんからはこんな感想だった。直接引用するわけにはいかないから箇条書きで。

・個人的には凄く好き。
・でも人を選ぶかもしれない。
・今後長いものを書くと仮定して、シナリオ構造を取り入れてもいいかもしれない。
・導入、この物語の「主題」を少し匂わせるとか。

こんな形で書くとふみぐらさんの筆致がまるで伝わらない。
もっと書きたくなるアドバイスなんだ。否定しない。あれがダメ、これが足りない。という事は簡単。ふみぐらさんはどうすればこの壁を乗り越えられるのか、この後具体的な記述をして階段を作ってくれた。とにかく丁寧。
丁寧で柔らかくて、でも具体的で素敵な文章だ。

その後何作か短編を書き、まだ未完成だが形になったのがこれだ。
特に導入部分で具体的なアドバイスがあったのを活かした。導入だけでもかなり違うと思う。

ふみぐらさんの俺に対する成果だ。
ありがとう。

長々書いたが、これが書きたかった。
俺は小説を書くとは言え、これは創作ではない。ここで嘘は書けないよね。

「東京嫌い」で俺は「夜空に引き上げられて」という短編をふみぐらさんに提出した。まだお買い上げ出ないのであれば是非買って読んで欲しい。noteの中でも相当な方々が書いている。21人。ふみぐらさんの文章も山ほどある。

提出した後、ふみぐらさんはこんな意を送ってくれた。これも直接引用するわけにはいかないから箇条書きで。

・読んでる途中で奇跡が起きた。作中の「息子」の感じ方が変わったところで。
・無音だった仕事場に「音」が流れた。
・『やさしく歌って Killing Me Softly with His Song』
・Spotifyが気まぐれを起こしたものだとしても、なんか良かった。

実際は丁寧で柔らかくて、でも具体的で素敵な文章だ(今日二回目)。

つまり俺の「夜空に引き上げられて」を読んでいた、ふみぐらさんの無音だった部屋に何故かSpotifyがつながってロバータ・フラックの『やさしく歌って Killing Me Softly with His Song』が突然流れたという事だ。
その話を受け取った時は、嬉しいけど、まあ何かの機器の不具合かと思った。

7/16の話だ。
ふみぐらさんの訃報は既に聞いていた。
ロバータ・フラックの『やさしく歌って Killing Me Softly with His Song』を思い出した。夕方、車でスーパーに買い物に行く時にそれを繰り返し聞いていた。前の日の雨が街の埃をあらかた拭い去った様な夏の日だった。

俺は毎日スマートフォンのSpotifyを車のオーディオにつなぎ、それを聞きながら通勤している。ここ3〜4年。休みの日も車を使わない日はない。往復と考え、年間700回ぐらい接続して切る。なので3年としても過去2,100回。

スーパーから帰り、家の駐車場に着いてエンジンを切る。Bluetoothの接続も切れ、音は止む。スマホをポケットに入れ、玄関に入る。出勤時も帰宅時も同じ作業。

玄関に入ったらスマホから大きな音で『やさしく歌って』が奏でられた。
いきなり鳴ったからかなり驚いて、スマホを取り出し音を止めようとした。ロックはタップのpinで外れた。しかしその後どこをタップしても音が止まらない。
Spotifyの停止表示を押してもSpotifyを落とそうとしても画面は反応しない。
慌てて画面をいじっているうちに止まった。
そんなことは今まで一度もない。概算2,100回で一度もない。

ふみぐらさんの仕業と勝手に思う事にした。

妻のヨガの先生が言っている。

bodyがあるうちはmindは縛られている。
bodyがないとmindは自由に動ける。
その人の気配を感じるという事は、その人のmindが傍にいる。

ふみぐらさん、俺の体調が悪い時に心配してくれたんだよね。
自分が相当しんどい時に。

ふみぐらさん、俺がアニキ!と呼び始めた時、DMはいつもの調子でかしこまって書いていた。なんか変だな、彼は言う。結局Twitter上でもDMでもアニキ!兄弟!という事になった。

ふみぐらさん、俺が今後小説を書くにあたって勇気の出るコメントをくれた。強烈でそれも具体的な話。ありがとう。

でもだぜ、俺たち何十回「その話の続きは渋谷で」で締めたかわからんぜ。
続きどうすんだよ。おまけにアニキが「羊をめぐる冒険」が愛読書なんて知らなかったぜ。俺な、それ、200回ぐらい読んでるぜ。

ふみぐらさんの魂に限りない平安がありますように。
心からお祈り申し上げます。


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