第一章 小さな反抗者③
目次とあらすじ
前回:小さな反抗者②
逃げ足が速いだけの、小さな子供。
ウルド国軍の正規兵士であるフォグンは、見習い兵士の逃げる背中を見ながらそう思った。
裏路地に逃げ込んだ見習い兵は、時には建物の中へさえ躊躇無く飛び込み、裏口から飛び出していった。
どこかの宿の勝手口から入り、無人の厨房を駆け抜けていく少年兵を追いながら、フォグンは自分たちをなんとしてでも振り切ろうとするその根性を賞賛すらしていた。
フォグンたちに与えられた命令は至って単純だった。
メィレ姫を牢から解放しようと集まった裏切り者を、見つけ次第処分する。
蜘蛛の子を散らすように逃げ出した、成人するかしないかといった年齢の子供たちを、一人残らず殺していく。
正直言って気持ちの良い命令ではない。
だがそれでもやらなければならない。
国の「頭」が挿げ変わったのだ。
これからこの国は北のデフリクト国との戦争に、大きく傾いていくことになる。
一介の兵士に何が出来ようか。
フォグンは<尖塔>をきつく握り締めた。
先を走るベロートが、<雲切り箒>から、見習い兵の背に向けて風の刃を放った。
ちょうどそのとき、見習い兵は何かに躓くようにしてつんのめり、風の刃は見習い兵の頭上を通り過ぎていった。
「運の良い奴だ」
悪態をつくベロートを、フォグンは睨みつけた。
見習い兵はすぐに体勢を立て直すと、そのまま路地の奥へ逃げ込んでいく。
見習い兵程度では、自分の所持する魔法具から漏れ出す魔力を遮断する技術を身につけていない。
大声で自分の居場所を叫びながら走り回っているようなものだ。
それに気付いていないのか、それとも冷静さを欠いているのか……。
なんにせよ、追い易くて助かる。
後を追っていくと、やがて突き当たりの路地にたどり着いた。
道は左右に分かれている。
二人は迷うことなく左の道へ走り進んだ。
見習い兵は角の向こうで立ち止まっているようで、魔法具からは動く気配を感じられない。
体力の限界だろう。
無理もない。
ここまで相当な距離を走り続けたはずだ。
ベロートが先行し、路地の角でうずくまる見習い兵を見つけた――。
はずだった。
「え?」ベロートは困惑の声と共に足を止めた。「捨てて逃げやがったのか」
どうやら、あの少年兵は途中で魔法具のことに気付いたようだった。
路地の先には<篝火>が転がっている。
賢明な判断だといえる。
走り回って頭が冷えたのだろうか。
仕事が増えてしまった。
ベロートが足元に転がっていた短剣状の赤い魔法具を拾い上げたとき、突然フォグンの首筋に衝撃が走った。
焼け付く痛みが走り、フォグンはその場に膝から崩れ落ちた。
背後から攻撃を受けたのだ。
接近に気付かなかった。
声を発そうとして、代わりに出てきたのは大量の血だった。
フォグンは、自身の背後から影のように飛び出し、ベロートへ真っ向から向かって行ったその人物を見た。
先ほど追いかけていた見習い兵にそっくりな姿をしており、手には血に染まった赤い短剣が握られている。
否。
「そっくり」ではないのだと、すぐに気付く。
手にあるのも短剣ではなかった。
ただの小さな包丁だ。
襲撃者は、先ほどまで追いかけていた見習い兵本人だった。
ウルドに生きる兵士が、魔法具でもなんでもないただの鉄の刃物によって傷を負ったのだ。
煮えたぎる屈辱は疑問や困惑、痛みをかき消し、無理矢理にフォグンの意識をつなぎとめた。
右手の<尖塔>から石の槍が生み出され、遠ざかる見習い兵士の背に向けて放たれた。
それは何事も無く見習い兵に直撃した。
背中から槍に貫かれた幼い兵士は、もんどりうって倒れこみ、それに気付いたベロートが驚いて魔法具を構える頃には、既に物言わぬ死体と化していた。
ベロートが駆け寄ってくるが、フォグンは既に自分の命運を悟っていた。
失った血が多すぎる。
薄れゆく意識の中、フォグンの思考には疑問が残っていた。
石の槍が直撃する寸前、見習い兵が僅かに体を傾けたように見えたのだ。
まるで背後からの攻撃を避けようとするかのように。
◇
ユナヘルが最初に考えたのは、魔法具の訓練だった。
何度でもやり直せるのなら、敵の技術を盗み、敵より強くなろうと考えたのだ。
攻撃を避け、こちらの魔法を確実に叩き込む。
言ってみればそれだけのこと。
基礎の基礎ではあるが、魔法具の教練も受けている。
あと必要なのは経験値だけだと思っていた。
しかし何度戦っても、こちらの魔法はかき消されるし、向こうの魔法は確実に直撃する。
ユナヘルには何が悪いのか、どうしたら良くなるのか分からなかった。
魔法具の性能差が激しいせいなのか、何か致命的な間違いをしているせいなのか。
ここには助言をくれる教官もいない。
あれだけ本を読んで知識をつけたのに、息つく暇もない実戦の連続で、反省をする隙もない。
一向に上達する気配のない戦いの中で、次第に焦りを感じていく。
もしもこの「やり直し」に残り回数があったら?
あと一万回死ねば上達するとしても、やり直しの残り回数が千回だったとしたら意味がないのだ。
ユナヘルは現実を見ることにした。
なにも魔法具の達人になる必要はない。
目の前の敵を倒すことが出来ればいいのだ。
そうしてユナヘルが考えたのは、魔法具を囮に使った奇襲作戦だった。
捨てられた魔法具に気を取られているうちに背後から敵に忍び寄り、フォグンに包丁を突き刺し、即死ではない致命傷を狙う。
フォグンは膝を着き、自分はその瞬間に前方にいるもう一人――ベロートへ向かって走り出す。
二歩と、四分の一歩ほど進んだあたりで、飛び込むようにして石畳の上に転がる。
早過ぎても遅過ぎても失敗する。
射線も考慮しなければならない。
ユナヘルは石畳の合わせ目を目印にしていた。
足元の案内に従い、リズムに合わせてステップを刻む。
たっ、たたっ、たん。
街で見た踊り子を思い出す。
あと五回失敗したら別の作戦――隠れ潜んで敵をまく作戦を立てよう、と考えていたところで、前転を終えて正面を見ると、<雲切り箒>を持ったベロートの背中に、石の槍が突き刺さっていた。
成功。
射線も完璧で、槍は肩を貫いており、ベロートは魔法具を落としていた。
稚拙な自分の魔法は通用しない。
敵の同士討ちを狙うほか無かったのだ。
飛び上がるようにして懐へ飛び込み、うろたえるベロートの首を掻き切る。
噴水のような血を噴き出すと、あっけなく倒れこんだ。
ここまでは何度か成功したことがある。
問題は次だ。
ユナヘルは祈るような気持ちで振り返り、フォグンへ目を向ける。
髭面の兵士は、魔法具を手放して横たわっていた。
「よしっ!」ユナヘルは思わず叫び、拳を握りこんでいた。
最大の難所だった。
一回だけ魔法を放てるが、その後力尽きるような、都合のいい傷を作る必要があった。
髭面の兵士の顔はこちらを向いていた。
表情には驚愕がこびりついているが、その目はもはや何も見ていなかった。
ユナヘルはその場に腰が抜けたように座り込んだ。
実際は大して経過していないだろうが、体感では恐ろしいほどの時間を走り回っていたのだ。
膝はがくがくと震え、軽く眩暈を起こしている。
しかし泥沼のような濃い疲労感は、体の芯から湧き上がる高揚によって打ち消されていく。
勝った。
勝ったのだ。
ウルド国の正規兵士、それも二人相手に。
ユナヘルは逃げる途中に侵入した宿の厨房で拾った武器を眺めた。
人を殺した実感は沸いて来ない。
深い深い溜息が、夜の闇に吸い込まれていく。
ユナヘルは立ち上がり、囮に使った<篝火>を拾い上げた。
コツは掴んだ。
仮に、またやり直すことになっても、同じように倒せるだろう。
喜びが胸中を渦巻いていく。
姫様。
あなたを、助け出してみせる。
そこまで考えて、ユナヘルはふと、もう何度死んだか分からなくなっていたことに気づいた。
次回:第二章 救いの手①
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