「暇」っていいじゃん、ていう話

忙しいのと暇なの、どっちが良いコト?

はいこの質問。
なんとなくですが勤勉な日本人、
忙しいのが良いって美徳感ありませんか?

たとえば、
寝てない自慢とか。
仕事が忙しい自慢とか。
スケジュールが多忙自慢とか。
たくさん働くのは良いことだ、とか。

僕は正直「忙しい」が嫌いです。
そして忙しいことを美徳にするのもまた嫌いなことです。

そして忙しいことへ対する美徳感から、

暇 = 何もしてない ⇨悪い
って方程式が成り立ってるように感じてます。

忙しさ自慢に対して、
暇自慢、てあんまり聞かないですよね。

その美徳感が何故そうなってるのか、
というのは専門家にお任せするとして、

忙しいって言うのはどういう風に嫌いかについて、今回は書いてみようと思います。

そもそも忙しい、てなんだ?

忙しいって、どういうときに使うのでしょう。

僕は忙しいというのは、
単純に時間がToDo(やるべきこと)で埋まっている、ということかと思ってます。

つまり、
忙しいと使うのは
「自分がやろうと思ったこと」ではなくて、
「やらざるを得ないこと」が占めているときに
使う言葉だよな、と思ってます。

この「忙しい」という言葉から感じる「生活がコントロールできていない感じ」が嫌いなのです。

暇って、最高じゃん。

まぁだからといって生活にゆとりを持って「丁寧な暮らし」をしよう、とか提案するつもりもありません。

ただ忙しいのはカッコ悪くて、暇って言うの最高じゃん、そう思ってるという話です。

僕はこう考えてます。
「暇=何もしても、しなくてもいい時間」がある。

決して何もしないわけではなく、
暇というのは何をしてもいいということです。

「その暇」を使って、
仕事以外に何か自分で何かしてみるも良いし、
何もしない時間を作ってもいい。

そういう創造的で余裕のある時間が、
何かやろうかなという気持ちを作り出すし、
人生の充実につながるのではないかな、と思います。

だからこそ、暇をつくる。

日本の国力を高めるは、日本人の労働生産性を高めなければいけない。そこに自分は人生を使うんだ。

僕の尊敬する方がおっしゃってました。
また最近は働き方改革という言葉があるように、これもまた残業を減らすことではなく、労働生産性を高めるということが必要だというメッセージだと解釈しています。

労働生産性を高める、ことに対しては異議はありません。

ただ「なぜ労働生産性を高めるのか」ということに対して、僕はいまいち腑に落ちていません。

また働き方改革や労働生産性を高めるという話も、結局忙しい=良いこと、というバイアスの中では正直刺さらない、虚しく響く言葉だなぁと思います。

今って、
労働生産性を高めるという言葉の先に、
そしてもっと労働しろ、
てメッセージが見える世の中だな、て思うんですよね。

だからこそ、
「暇っていいじゃん」という価値観の転換が必要なのだと思うんですね。

日本人に何をしてもいい、何をしなくても良いような暇という自由時間を作り出す。

それにより、日本人の創造的で生産的な活動や消費的活動が増えることで結果として経済がボトムアップで循環する。

だから、労働生産性を高める。

という文脈であれば、僕はとても分かるなぁ、と思うんです。

兎に角、
働くという言葉がネガティブに聞こえるし、忙しいという言葉が良いとされるこんな世の中にポイズンだなぁと。
今、必要なのは暇を作り出すという大義では?

そう思って、この記事を書きました。
火星からは以上です。