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ライター、ぐるっと回ってAIに負けない(気がする)方向性を見出す


フリーライターになって17年が経つ。
”取材をして書く”という仕事についてからは23年だ。

こういうの、ベテランって言うんでしょ。

しかし最近、今さら、緊張することがある。

逆に以前は緊張とはほぼ無縁。
「どこでも突っ込んでいきますよ!」「全力でやります!」「なんでも言ってください!」という感じで、

無鉄砲というか、恐れ知らずというか、丁稚というか、
緊張する神経を持ち合わせていなかったと言うのが正しい。

「やれることをやるだけ」「やれないことはやれない」とキッパリ考えていたので、気もラクだった。

おまけに、インタビュー対象にしても
「本物、大物は外に対しておおらかで優しい」
「小物ほど吠えるので、きつい人だったとしたら緊張するほどの相手ではない」という見立てで、緊張する必要がなかった。

相手がどんなに大物でも有名人でも、だから緊張する、ということはなく、
むしろインタビューされ慣れていない人に対して力がいると痛感していた。
普通の大学生に「この学部を選んだ理由は」と質問する仕事で、
「とくに理由はない」と返されたところから記事をつくりあげたときの方がよほど必死に食いついて聞きまくった覚えがある。

これは今も同じ見解で、
相手によって緊張度合いが変わることはあまりない。
本当に怖かった人はいたけれど、この四半世紀でたったひとりだけ。
(いつかネタにしたいほど振り切れた恐ろしさであった)

何が変わって緊張するようになったのかと考えると、
「私に頼んでくれたからには」という気概が
いつの間にやら心に住まったのだと思う。

「私は全力!」と自分メインだったのが、
大人になって「期待される以上のものをきちんと」とお相手メインの思考に変わっていたわけだ。いつからだったのかはちょっとわからないけれど。

こうして振り返ってみると、そんなもん30歳くらいで切り替われや、とも思う。
もう48なんですよ。

しかし一方で、なんか息苦しいから
若い時と同じように「自分が全力」でいいじゃん、
何も悪くないやんと感じる自分もいる。

だいたい、「期待される」の中身なんて、なんとなくしかわからない。
そして文章に、「これが正解」というものもない。

・・・ああ、なんか、そうしよ。
自分が全力でこそ、私に頼んでくれた人の狙い通りな気がしてきた。

AIと共存できる、唯一の手立てという気もしてきた。
だって私の思考・行動・アウトプットはAIとはだいぶん違うでしょう。
「きちんと相手の期待に」と考える方が、AIとかぶる気がする。

ぐるっと回って、おしまい。


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