マルタ留学番外編その2ーシチリア島で経験した怖い話ー

シチリア旅行を災難に見舞われながらも割となんとかなった楽しい旅行であったとして携帯の写真アプリを整理し始めていたときに経験した話である。
バスの時間の関係もあり、飛行機の出発時刻の6時間前に空港に着いた私たちは、ちょっといい夕飯を食べに行こうと外へ出た。調べると少し歩くが洒落たレストランがいくつかある通りがあった。夕焼けになる前の澄んだ青空と、遠くに見える火山を眺めながらてくてくと足を動かす。バス移動で凝った身体にちょうどよかった。

ここは日本ではないので、歩道などという贅沢なものはない。車も大通りも小さな通りも同じスピードを出す。足場がある分離帯を歩くのが安全であった。マルタの大味な料理に飽き飽きしていた私はすっかりシチリアの料理に魅了された。特にカルボナーラは好物でもあるためその感動は凄まじく、友達に自慢するほどである。目指すレストランもピザかパスタ、たまにリゾットという品揃えのところであったため期待は増すばかり。そんなうかれぽんちな私はふと、前を歩く友人が何かぽこりと盛り上がっている何かを踏んだのを見た。自然と視線が下へ。雨風にさらされたコンクリートの、不純物をたくさんの綺麗で混ぜたような色に同化してそれは横たわっていた。息絶えたばかりなのだろう。虫はたかっておらず、まるで生きているみたいに死んでいる。腹は呼吸を示しておらず、光を失った光がそれを私に告げていた。
ぎゃっと悲鳴を上げ友人が靴を地面にこすりつけ。私は素早く迂回して通り過ぎた。友人は何度か振り返っていたが、私は決して振り返らなかった。涙を出したくなった。からからに乾いた目で、友人とアイコンタクトを交わした。とにかく喋りたかった。

多分子鹿が山羊か。正解を知りたくなかったので検索をしなかったが、そのどちらかなのだと思う。何かと比べてそれよりマシだね、と自己暗示をかける癖のある私が「まあ猫じゃないし。埋めてもないし」と言った。友人は「、、、うん」となぜ猫を引き合いに出したのか分からない様子で、靴をしきりにこすっている。感触が残っているのだそうだ。口に出すのも憚られる、死後硬直もまだの性の名残を残した感触。いいい、とうなり声を上げた。沈黙が下りる。
なんであんなところで。轢いてしまったのを誰かが移動させたのか。わざわざ?引きずった形跡はなかった。妙なところで観察眼のある目が色々な情報を拾っていた。すぐに目的地ではないレストランらしきものが見え、もうここで良いんじゃと覗いたが客はほとんどおらず、レストランというよりはカフェの色が強かったため諦めた。もうここまできたらなにが何でも美味しいものを食べてやると意気込む友人に、うん、と返す。本音は帰りたかったが帰るとなると同じ道を辿ることになる。それだけは嫌だった。
10分ほど歩くがレストランどころか店すらない。あとどれくらい、と友人に聞くとこの向こう、と茂みを指さした。茂みの向こうにレストラン街もどきがあるらしい。なぜ茂みを作った、と悪態を吐く。行けないではないか。少し先に合流できそうなところがあるらしいので、そこを目指して歩く。幸い空港の滑走路はずっとそばにあるため、空港の場所も分かった。陽もまだある。
さくさくと歩く。ここを行けば着くはずと曲がった路地はレンタカー屋の駐車場で行き止まりであり、そこで教えてもらった道をいけばいくほど人通りも車通りも少なくなっていく。だだっ広い二車線の、先が見えない直線の道。右手が茂みで左手が滑走路。何かから逃げている様だった。大きなリュックを背負って、何か武器でももっていれば完璧なゾンビ映画の主人公である。怖さを紛らわすために喋りたかったが、話題が見つからない。初めて人に「何か面白い話して」という振りをした。まったく笑えない。普段はちょっと黙れと友人に言われるほどのおしゃべりなのに。
また歩いて、歩いて、ここじゃね、と曲がった所が行き止まりで、おじさんにこっちは何もねえぞと言われソーリーと謝り。とにかく歩いた。日が傾き、そして落ちた。街灯も満足にない、暗闇である。車通りは全くないことはないため、携帯のランプを付けて存在をアピールしながら歩いた。ここで音楽を流すという発想が湧き、とにかくアップテンポなものを、とシュガーソングとビターステップを流す。ちゅるちゅっちゅちゅるちゅっちゅるー。怖すぎる。
でも空港はあるんだよね、とSixTONESのアゲアゲな曲を流しながら友人が言った。ほらあそこ、と。確かにそれほど遠くないところにそれらしき大きな建物が見える。ブルーのライトが綺麗に光っていた。少し安心し、また歩く。ここまで来たらぐるっと空港の周りを一周しようとなっていた。明るい建物が見えるぞ!となり、ただの宿舎だったと落ち込み。ヒプノシスマイクのイケブクロを流しなんとかアゲアゲで歩いた。私はヨコハマの女であるが、心の中で左馬刻様に土下座しながら流した。一郎、、お前頼りになる奴だぜ。一郎のビートを聴いていると、すっと横に黒い車が止まった。運転席からおじさんが顔を出し、何か喋りかけてくる。しかしイタリア語のため分からない。デンジャラス、は聞き取れ、あ、ここ危ないって伝えようとしてくれてるんだ、と気づいた。狂ってるんか?というジェスチャーもされた。どこに行きたいんだ、という質問にエアポートと答えると、空港はあっちだと来た道を指された。そりゃ空港から来たからそっちだな。少し冷静になり先を見ると、まったく街灯のない暗闇であった。さすがに怖くなり、お礼を言い、引き返そうとするとクラクションを鳴らされる。ん、と戻ると、乗れ、と後部座席を指された。悪いおじさんのような気はしない。友人とドアを開け、後部座席に乗り込み、ぴったりとくっついて座ってドアを閉める。サッと視界が広くなったような心地がした。おじさんがなんでこんなところにいるんだ、デンジャラスだ、とイタリア語でまくし立てながら歩いてきた道を戻ってくれるのに、ソーリー、センキューと返しながら呆然とする。なぜ引き返さなかったのか。なぜ立ち止まってじっくり地図を見なかったのか。なぜ、タクシーを呼ばなかったのか。日本で道に迷ったならまだしも、旅行中である。私は歩くのがそこまで好きではないし、タクシーを呼ぼうという発想が湧かないのは不自然であった。おじさんが空港はこれだよと指した建物に青いランプは無い。せめてとお金を渡そうとするがいらないと言われ、ハグをして颯爽と帰って行った軍人らしいおじさんが助けてくれなければどうなっていたことか。
時間の感覚もなくなっていた。3時間弱歩き続けていたらしい。もうお洒落なレストランなど行く気になれず、マックでいい、むしろマックがいいと空港内のマクドナルドに入った。ポテトが死ぬほどうまかった。
友人がいてよかったが、これが一人だったらと考えるとぞっとしない話である。人間の心は、ちょっとしたことでおかしくなる。

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