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3.11

日本の人口が1億2000万人ということはその数だけあの時の記憶、経験があるということになる。もちろん私自身もその時の記憶は鮮明に覚えている。

私は北陸在住であるが、10年前のあのときは長野にいた。
関東地方で開催される予定だったイベントに前乗りし、長野に住む友人を拾うため駒ヶ根IC降りていた。その直後信号が不自然に揺れていることに気づき、同乗していた別の友人も異変に気づいた。

運転中なので即停車というわけにもいかず、とりあえず友人を拾ったあとスマホで状況を確認するしかなかった。

関東全域で大規模地震発生

イマイチピンとこない。定量的な説明が一切なかった。それもそのはず被害が大きすぎて正確なデータが得られない上に広範囲でリアルタイムでは情報が多すぎた。原発に被害が出たと知ったのもそれよりずっと後のことだ。

最終的には関東入りする予定だったので高速道路に乗り直した。震災直後は高速道路が閉鎖されておらずその時点で被害のなかった長野では自由に移動ができた。移動中に新たな情報が次々と流れてきて、控えるイベントで浮かれていた一行だが被害の重大さが浮き彫りになると冷静になった。と同時に身の安全を考えるようになった。

とりあえず移動しないと埒が明かない状況だったので、中央道を東に向かった。移動中にもいろんな情報が入ってきて何が正しく何が間違っているのかわからない。一つわかったことは誰も正解を持っていないということ。

高速道路情報を見るため休憩した双葉SAでこのまま関東に向かうか引き返すかの選択を迫られた。イベントには参加したいが開催されるかどうかは状況次第。地方民からすると年に1回あるかないかの機会を逃すわけにはいかない。もう少し進んで様子を見ても良いのではないか。まだ車も流れているし、いつでも戻れるぜ。最悪ホテルに泊まるだけになるかもな、はは。

「いや、ここで引き返そう」

今思うと神回避というかすべての判断が良い方向に向いていたと思う。このあと関東エリア全域高速道路は封鎖された。入ることはもちろん出ることもできなくなっていた。戻っていなければ1週間は関東エリアに閉じ込められていた。ホテルは休業していた。

その後友人を長野に戻して北陸に戻る…のが定石だがそのまま大阪に向かい、また別の友人に世話になった。とりあえず関東から関西に移動することしか頭になかったからだ。冷静になりきれていなかったとも言えるが、翌日3月12日に長野で大きな地震があったことを思えばこれも神回避といえるだろう。

大阪の友人に2日世話になったあと全員無事に帰路についた。東北関東でなにが起きたかを正確に知ることとなったのは発生から明々後日のことだ。


こうやって文章に書き出してみると情報がいかに大事かを痛感させられる。関東に行かない、という一人ではできなかった決断をメンバーだからできた。今無事であることに感謝したい。

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