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昭和アニメがつくる「架け橋」

こん○○は。
作り手の想いにストーリーという名の翼を授ける「ストーリービデオグラファー」藤堂八雲がつづる、今日の雑感。


これまでに観た最も好きなマンガ(アニメ)を挙げてくれと言われたら、僕は無条件でダントツ1位に、しげの秀一先生の「イニシャルD」を挙げるだろう。

このイニシャルDというマンガ(アニメ)が僕の人生に与えた影響は、あべのハルカスよりもデカい。

ちなみに2位は、六田登先生の「F(エフ)」であるが、イニシャルDとFでは、与えた影響のベクトルがまったく異なる。

中3からF1を観てきた僕にそのきっかけをつくったのは「F」なので、車に関する原点はそちらなのだが、僕の「生き方」に与えた影響は「イニシャルD」の方がはるかに大きいのだ。


さて、この週末、dアニメの初月無料に登録したのだが、はて、何を見ようか?と思い頭に浮かんだのがイニシャルDだったわけだ。

マンガは全巻持っていて、アニメで観るのは3回目くらいなのだが、前回見てからは実に久しぶりになる。

週末の貴重な睡眠時間を削り連続視聴しまくって感じたことを綴っていこうと思う。
※ イニDを知らない人はwikiをどうぞ。


さて、話の流れ的に、これが昭和のアニメだということはお察し頂いていると思うが、このアニメを観ながら、当然懐かしさを感じながらも、今の時代にこういう昭和のアニメはあるべきなのか?ってなことを考え始めていた。


少し前に「不適切にもほどがある」という、昭和なおじさんが主人公のドラマがちょっとした物議を醸していたが、そのときも同じようなことを考えていた。


とはいえ僕は、

「昭和の名作アニメが教えてくれた、大切なこと」

とか

「昭和の名作アニメに学ぶ、新たな気づき」

なんていう感じで、大上段に構えるつもりはない。


イニシャルDで言えば、こんなシーンが頻発する。

  • 登場人物の8割くらいがタバコを吸っているし、タバコを吸うシーンが1話で10回以上あり、平気でタバコのポイ捨てもする

  • ヒロイン役(高校生)が裏で援助交際をしているというトンデモ設定

  • その他にも、女性に対するステレオタイプなシーンが連発

  • そもそも法定速度ガン無視で公道でレースをするという設定がデフォw

などなど、今の時代に民法の電波では絶対に流せないような設定になっているわけだ。

でも、昔の作品なんて、dアニメだけじゃなく、いろんなストリーミングサービスでいくらでも見ることができる。

PTAなどのうるさ方がなぜ黙っているのか不思議なくらいだw


つまり僕が考えたのは、こういう昔の作品が「そのまま」見れるような状況で良いのか?ということだ。

昭和と現代では価値観が大きく違う。
当時は許容されていたことが、今では問題視されるケースも少なくない。


ジェンダーステレオタイプや差別的表現など、現代の人権意識に照らすと問題になる点は非常に多い。

とはいえ、過去の作品を完全に封印するような極論は、文化的な損失になるしするべきじゃない。


いや、ちょっと待て。

色んな問題をはらんでいるからこそ、昭和アニメには存在意義や価値があるんジャマイカ?


過去の価値観を批判的な目で見たり、あるいは現代の視点から再評価することで、人間は成長できるんだよ。


良い部分は継承して、問題のある部分は改善していく。
人間の進化や成長の当たり前の姿ジャマイカ!(クドいw)


娯楽作品がゆえに、受け身でそのままなんとなく視聴してしまうことが多いものとはいえ、過去の作品などを、そのまま無条件、無批判で受け入れるのはよくないと思う。

やっぱり、何事においても、批判的な視点は失くしちゃいけない。


あと、映像制作をする人間の立場的には、作品を公開する側にも責任はあるし、一定の配慮が必要だと思う。

問題のある表現や価値観についてはテロップで注釈を入れるとか、そういう類の配慮だ。

大切なことは、現代の視点で客観的に捉え、視聴者に提示すること。


冒頭で触れた「不適切にもほどがある」にそのような配慮があったかどうかは知らないが、もしそれがなかったのであれば、若い世代に受け入れられないだけじゃなく、悪影響すら及ぼしかねないと思った。


と、色々小難しいことを考えたわけだが、僕みたいなドンピシャのリアルタイム視聴世代にとって、イニシャルDをはじめとした昭和名作アニメは、難しい時代を生きる同世代に、懐かしさや癒やしをもたらしてくれることは事実。

あのときはこうだった、あのときはよかった、楽しかったなぁ、なーんて感じで。

イニシャルDで、速度が120km超えるシーンで「キンコン、キンコン」と警告音が鳴るの、ちょ~懐かしい笑


色んな世代の人たちが集まって、昭和の作品を一緒に観るなんてシチュエーションはそうそうないだろうが、そんなふうに、昭和の名作アニメを「世代を超えて互いの理解を深めるための架け橋にする」ことは、色んな方向で活用できるんじゃないか?と思った、この週末であった。


ちなみに、イニシャルDが僕の生き方に多大な影響を与えた、という理由はこれだ。

「何の目的もなく、誰のためでもなくやっていたことでも、人を喜ばせることができるのか」ということに気づかせてくれたこと。


しばらくは、寝不足の日が続きそうだw


※ 補足
マンガの設定としてはモロ昭和なのだが、アニメ版、劇場版は、音楽などプロデュース面も含め、平成のエッセンスもうまく取り入れており、「昭和アニメ」という表題に違和感を感じられる読者もいるかもしれないが、原作に免じていただければ幸い。


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