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なんとなく。

こん○○は。
作り手の想いにストーリーという名の翼を授ける「ストーリービデオグラファー」藤堂八雲がつづる、今日の雑感。

※ 今日はいつもとちょっと違う記事の書き方なので、ご留意を。


僕は普段、仕事としてビデオグラファーの活動をしているときは、その主体者の思い、感情、情熱などをストーリーとしてイメージし、考え、それが映像を通じ、よりわかりやすく視聴者に伝わるよう心がけ映像を作っている。


というか、それしか考えていないと言う方が正確だろう。


さてスマートフォンが手元にあるのが当たり前の時代、街を歩いていて、何気なく目にした街角の風景を写真で撮ったりすることが多くなった。

それでも、写真を作品にしようという発想になったこともないし、写真ではなく映像をスナップで撮ろうという思いにも至っていない。



そこであらためて、それは何故だろう?と考えてみた。


結論は、やはり「作品」として何かを生み出そうという行為には、大なり小なり、それを作ろうという思いがなければならないということだった。


映像だろうが、写真だろうが、造形だろうが、料理だろうが、なんだってそうなのだ。

「あのトマトの凝縮感とひき肉の旨味が一体になったパスタが食べたい」という思いがあってミートソースパスタができるわけで、何も考えずになんか作ってたらいつの間にか極上のミートソースパスタが出来ていた!なんてことは、2000%ないわけでw


そこで一つの試みを行った。


作品を作るためという「意思を持って」散歩をしようと。

なんとなく行き先も決めず、ただブラブラすることには違いないのだが、その「ブラブラ」によって作品を作るのだ、という「思い」があるのと無いのでは、どんな違いが出るのか?

※ ここからは撮影地の紹介と、マップのリンクになります。

僕は迷わず、庭である池袋に向かう。

IWGPは、以前からいい画が撮れる場所だなぁと思いつつ、反対の東口から散策してみた。

この公園は綺麗な芝生とおしゃれカフェがあって、好きな公園の一つだ。

そして、そのまま西口へ歩く。

そのままIWGPへ足を向ける。

東京芸術劇場とバス停。

そのまま「マリとシェリー」のブロンズ像へ。

その後も、西口に戻る感じでブラブラしながら、気になる画があれば撮る、というのを繰り返した。

で、また東口に戻りたくなり、駅を突っ切って東口の大交差点の前へ。

PARCO前でIKEBUSを撮る。
それにしても、IKEBUSはホントかわいい♡

この木は梅でした。まだつぼみでしたが。

そのまま大塚まで歩こうと思い、途中の東京国際大学で揺れる国旗を撮る。

都電は画になるからねぇ。あ、今は都電って呼ばないんだっけ。

大塚駅前も色々お店があって、ちょっと入るとディープな雰囲気が漂うね。


散歩したルートはざっくりこんな感じだ。


以上、映像の時系列に合わせて、撮影地を紹介させていただいた。


自宅に戻り、まずは散歩全体で撮った映像のチェックをしながら、どのような街のイメージだったかを、頭の中で固めていく。

そのイメージを脳内に保ったまま、Artlistで曲のイメージを探す。

これだ!という曲が見つかれば、それをタイムライン(編集用のキャンバス)に置き、あとはひたすら自分の脳内の映像イメージに合わせるように編集していく。



こんな形で、今回、散歩で新たな映像作品を紡ぎ出すことができた。



いや、これはただの散歩ではない。
日常に隠された美しさを探求する旅だ。

うーん、キザすぎるw


僕が映像制作をする目的は、映像を通して人々に街の中の見過ごされがちな美しさを伝えることにあるのではないか?とすら思えてきた。

いや、それは言い過ぎだ。


今日の「散歩MV映像作品」を通じて得た経験は、僕が、なぜ映像制作をやりたいのか?という根源的な問に対する、一つの答えを示したと思う。


それは、街の日常を「非日常的な美しさ」のような映像として表現できるかというチャレンジである。


なぜなら「美しさ」は、純粋に視聴者に「見てみたい」という動機を与える強力な要素だからだ。


このIKEBUSの真紅のかわいいボディ。
ぜひ、実物を見てみていただきたい。
ほんとちょ~かわいい♡


東京芸術劇場の、マリとシェリー像

大塚駅のほど近くの、もなか屋さん。

これらは、この映像を見なければ、視聴者は知ることすらなかったのだ。
この映像が、視聴者に未知との遭遇の機会を提供したわけだ。
(もちろん、元々知っている方も一部いらっしゃるだろうが)


話を冒頭の投げかけに戻そう。

仕事で手掛ける映像はすべて、主体者が「自分以外」である。


しかし今回の試みは、「僕自信が映像の主体者」である。

この経験は、僕のクリエイティブな視野を広げ、ビデオグラファーとしての感性にさらなる深みと磨きを与えてくれたと感じている。

僕は小説も書かないし、絵も描かないけれど、なんとなくそうした人たちの心の中が少しだけ覗けた気がした。


さて、冷蔵庫の余り物でなんとなくご飯作ってみるか。


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